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愛するとは自立させることである

「ほんとうに人を愛するとは、その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげることだ」。


昭和の小説家・エッセイストである三浦綾子の言葉だ。

恋人だけではなく、師弟関係でも、上司部下の関係でもこの考えは当てはまると思う。

そして育児でも。

我が家は男の子二人の兄弟なのだが、長男が生まれた頃から、自分が子供にとってどう見られているのか、を強く意識してきた。

子供にとって親というのは一つの基準になり、幼少期の人格形成において、親との生活は、その後の人生に大きく影響する。

現実に目の前に存在する「一つの正解」を示している親の姿は、子供にとって、その後の人生のインプットである。

子供は、そのインプット情報をもとに何らかのアウトプットをしながら成長していく。

生活の仕方、ご飯の食べ方、話し方、遊び方、友達との付き合い方。それらの一部に親の影響があると感じるのは、自分の子以外を見ていると良くわかる。

随分と口の悪い小学生がいると思って、その父兄さんを見てみると、まぁ随分とぶっきらぼうな態度と言葉遣いだったりする。

物静かな小学生だなぁと思ってみていると、その親は逆にハキハキと厳しく躾けている様子がわかる。これは萎縮してしまったのか、会話しにくい関係性なのか、育児の結果が性格に反映されているのだろう。


子供たちには自立してほしい。そう多くの親が思っていることが常ではあるが、果たして自身の教育方針が自立を促すのかどうかは、成長してみないことには分からない。

ただ、自立するためのインプットを与えることは確実にできる。

自立とは、「その人が一人で生きていける様」である。

子供たちが世の中を渡り歩く術を、如何に持ち得るかに親が助力することは当然可能だ。

親の姿を見て育つ子供には、「親が何を考え、どういう効果を狙い、行動しているのか」を共有することが第一に必要だ。

・親が一体何を考えているのかわからず、
・将来どういう結果を期待しているのかも知らず、
・なぜそういった行動をとっているのか理解できない

といった状況に置かれた子供には、現代を生きている大人としての親は曖昧な像としてしか映らない。

明確に、「お父さんはこういったことを考えている。こういう未来を作りたいらしい。だからその目標を達成するために、この仕事をしている」といったように、親が社会的に自立している背景を伝えることが第一に重要だ。

親は、既に自身の行動で子供たちに世の中を渡っている様子を見せている。その思想を子供たちにも理解させ、「なるほど、理屈が通っているな」と思わせることが自立心の第一歩ではないだろうか。

曖昧なままの親の姿をイメージしたまま大人になった子供は、自分自身も曖昧な考えをもってしまう恐れがある。

幼少期にたくさん話した親が、「明確に目的意識を持って行動している姿」が一つの例としてインプットされているということは、自分もそのように思考し、行動できるのだ、というアウトプットの根拠になるだろう。

普段からこのような思考で子供には接するようにしている。

「パパ、なんで〇〇なの?」
と質問された時には、パパの考えではこうで、おそらくこういう効果を狙っているのではないか。と答えるようにしている。

その上で、「君の考えはどう?」と質問すると、子供たちも同じようにその事柄の「狙い」を想像して答えようと思考する。

決してその答えを否定してはいけなくて、明らかに間違っていたとしても、その考えを出したというアウトプットを肯定することだ。

「確かにその考えもある」
「思いつかなかった。なぜそう思ったの?」
「パパの考えとどっちが可能性が高いだろうか」

などと思考を発展するように議論を持ちかけることで、子供たちの思考力をトレーニングさせることに努めている。

どうなるかは大人になってみてくれないとわからないものだが、少なくとも、親の言いなりをこなすだけの、あんまり物事を考えなくても楽しかった子供時代、で終わらせないよう、親と思考する経験を多く積ませてあげることは、十分にできると思うのだ。

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