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ヒトの成長は『情熱』という出汁がうま味の素。【リスタートへの思考整理帳09/僕の仮説70】

■スポーツの成長=『選手×コーチ』

育つ、育てる…。

スポーツ選手の成長がテーマになると、たまに議論になる。育つは選手、育てるはコーチ。「どちらを主語に置くか」。この違いでしかない。

一般社会で例えると、こんな構図。

育つ=現場プレイヤー
▼部下=見守られる側

育てる=現場マネージャー
▼上司=見守る側

少し柔らかく表現しているが、部下と上司は一つのチームに変わりない。結果が出なければ互いに責任がある。それぞれに言い分はあるだろうが、うまくいっていないチームはだいたいこう愚痴る。

「教育が悪い」

よく考えると、不思議な言葉だ。学生時代も耳にしたし、社会に入ってからも付きまとう。教育といえば、部下も上司も責任転嫁が可能になる。

部下は上司のせい。
上司は仕組み、制度(会社)のせい。

冷静になれば、どちらも会社という組織の一員だとわかる。どちらの立場も見守られる側として振る舞える都合のいい言葉。会社から給料をもらっているのに、結果、お世話になっている側に罪をなすりつけている。

育つも、育てられるも、その目的は『成長』や『変化』の先にある結果である。いずれも『今の状態』を脱し、結果を得たい。だとすると、成長というキーワードはここが分かれ道であり、スタート地点だ。

ヒトの成長や変化は『何』によって起こるのか?

▼成長(変化)あり → 結果が出る
▼成長(変化)なし → 結果が出ない

ここを掘り下げて理解していなければ、いつまでも自らの変化を通じた成長、そして得られる結果は偶発的に終わる。

さて…

よく成長や変化のきっかけは『気づき』と言われるが、ヒトが変わるポイントは2つしかない。

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