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中庸な立場で伝える意味。【気ままな一人語り04/僕の仮説77】

■言葉は明確化の一方、分ける意を含む

過剰な言語化は分断の火種を生む。

ICT(Information and Communication Technology)、『情報通信技術』の発展は物事を調べたり、全容を掴んだりすることを一方的に可能にした。特に『広げる』意味では異言語の壁すらも超えられるようになった。

ビッグデータのおかけで最新の翻訳機能を使えば、ある程度の領域までは解決できる。プログラミングの領域に至っては言語の壁すらなく、論理的な思考を持てたら世界中で仕事ができるといっても過言ではない。

過去、私は失業保険を受けている最中、制度を用いて職業訓練を受けた経験がある。2006年、その制度を活用し、WEBを学び直した。HTML、CSS、Perl言語といったものをタグ打ちで形にする基礎を習得し、同時にWEBで使うグラフィック・ツールもその学校で勉強した。

『Ctrl+U』を押せばサイトのページソースが出るので、今も暇なときにそれを解読して興味関心あるサイトが「どんな構造になっているか」を分析している。学ぶ意志さえあれば独学できるのが、現代の情報化社会の最大のメリットの一つだとつくづく思う。

ただし学ぶ熱量によって変わることを忘れてはならない。

多様性はどんどん進む。たとえば、社会では副業が許される時代になりつつある。近々、『社畜』という言葉も死語になる。これまでの「長いものに巻かれろ」的な価値観を持つ発想は希薄化し、もしかすると将来は一歩間違えばハラスメントとして扱われるのではないかとも考える。

白か黒か、右か左か…

そんな考えで「物事の全体を図ろう」とすると選択肢が減る時代になる。ここ1ヶ月ほど世間をにぎわせた秀岳館サッカー部の事件も、日本的な多様化が進む過程で巻き起こった、変化に乏しい大人の常識を露呈した内容だと感じる。

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