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選手が求めたときに寄り添う指導ができること。【リスタートへの思考整理帳03/僕の仮説63】

■成長、進化を求め続けると破綻する

汗をかける人になる。

人生を有意義なものにしていくため、非常に重要なポイントだと考えている。汗をかく。こう言うと「額から水分を流す」ことをイメージする人が多いだろう。間違いではないが、少し想像力に欠けている。

私のイメージは「汗をかける人=自ら挑戦し、変化できる人」のことを指す。汗をかくという定義も身体的なものだけでなく、脳と心の領域が含まれている。

汗をかける人は成功や失敗が変化の過程の中に組み込まれているため、それが目的や目標にはなり得ない。成功しようが、失敗しようが、自分自身が描く世界に向かって挑戦し、変化し続けるために汗をかく。

行動によって汗をかく。
考え抜いて汗をかく。
誰かを思って汗をかく。

いずれにしろ「汗をかける人は健康ではないか」と、個人的には思う。

私は、ジュニアの選手たちに「汗をかける選手になってほしい」と願う。うまくなるとか、成長するとか、正直そこまでを望んでいない。きっと高望みなんだと感じる。それは本人が意識しなければ達成できないことだから。

だが、常に汗をかくことはできる。

見る。思考する。プレーする。チームメイトを思いやる。相手に感謝する。審判に「ありがとう」を伝える…。私は、これをできる選手は当然うまくなったり成長したりできる選手だと捉えている。

その理由は、さまざまなことにアンテナが反応し、自らができることを見つけ、実行に移せる人間だからだ。心が働いている人間は頭が稼働し、自然に行動を起こすようにできている。ということは、自然に挑戦するものを見つけ、成功や失敗を繰り返して変化を起こすことが可能だ。

うまくなる。
成長する。

これらは結果であって、ジュニアの選手たちに強要してはいけない。強要すれば、サッカーだろうが、勉強だろうが、皆嫌いになる。ある種、勝ち負けと同じで、結果というニンジンをぶら下げて走らせ続けると必ず心身とも疲弊し、どこかに歪みが生じる。

最近は『バーンアウト』という言葉が話題になっているが、これと同じだ。

きっと『ヒト、モノ、カネが無限に上昇する』と勘違いしていることから起こっている現象だ。まずヒト、モノ、カネは有限であって、永遠に右肩上がりに得られるものではない。自然的な資産が有限であるなら人間社会で作り出しているものも有限に決まっている。

たとえ、それがバーチャルの世界に移ったとしても、それを映し出して蓄積するもの(たとえば、サーバなど)は自然界にしか設置することができないから有限性が高い。

■汗はかくといろいろ化学反応が起こる

少し話がズレたが、上昇、進化、成長…上を目指すことには限界があり、誰もが都合よくこれだけを考えて行動しているわけではない。これだけが目的や目標になったとき、『ヒト』の領域に優劣をつけて上手下手、勝ち負けで判定しようとする。

これがジュニアの世界で起こったとしたらどうだろうか?

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