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一度、根本から考えてみた。街クラブの経営とは何か?【筆者の思考整理帳17/僕の仮説58】

■街クラブ経営とは理想郷実現者ではない

街クラブの経営とは何か?

私は、「地域を形作る一部であり、まずコーチ、そこを通じて選手とその家族を幸せにすることだ」と定義づけしている。俯瞰すると、地域がチームで、クラブはその一員となる。サッカーも「チームと個の関係で形成されている」から似たようなもの。原理は同じだ。

きっとクラブ経営とは、地域を形作っていくものであり、その世界で生きていくのに必要なものがいろいろあるのだが、どれが欠けても成り立たないものなのだ。

人、モノ、お金…。

街クラブにおいて、人とは選手、保護者、審判…、モノはグラウンド、ボール、ユニホーム…、お金はスポーツ保険、登録費、グラウンド代…挙げ出したらキリがない。

これらはすべて必要なものだ。しかし、関わる立場によって大切なものかどうかは見え方が異なるし、優先順位も違う。ならば、経営者が仲間を集め、クラブを形作るために大切にするものは何だろうか?

これを語る上で、国内外のさまざまなクラブの代表者やコーチを取材した経験をいろいろ振り返り、一つ気づいたことがある。それは「会員数が多いクラブと少ないクラブの違い」について。その違いがわかるだろうか?

会員数が多いクラブの代表やコーチは相手のことを信頼し、コミュニケーションをとる。一方、なかなか選手が集まらないクラブの代表やコーチは相手のことをどこか疑った目で見ていて、話をしていて居心地が悪い。

そもそもクラブ経営は一人では務まらない。はじめに経営者のまわり、次にコーチのまわりに人が集まってこなければクラブ、そして、そこから地域を形作ることはできない。確かに、モノやお金はクラブ経営に欠かせないものに変わりはないが、その中心にあるのは「人」である。

人々の中心で街クラブを経営し、地域を形作っていく人間(街クラブ経営者)には「一緒に何かをしたい」「一緒にクラブにいたい」と思わせる根源的なもの(思いも、努力も、他者の責任にしないことも…)を持っていなければならない。

革新的に語れないことに己の未熟さを感じるが、人とつながるとき、お金やモノなど物質的なものを交換条件に打算的につながろうとしない人というか。そういう人と接したとき、シンプルに自然体で本音の話ができる。

このことはクラブ経営者の資質として最低でも必要な気がしている。経営は一人ではできないし、地域を形作ることなんてもっとできない。ただスキルとして「コミュニケーション上手になれ」と言っているわけではない。もっと人間としての根源的な五感の部分の話をしている。

クラブ経営には当然、自分にとって異論者、反対者…考えが違う人たちがいるが、そういう人とも利害が一致していれば「つながる理由」になり得るから、うまくつながって運営していかなければならない。街クラブとは、文字どおり次のような構成なのだから。

▼街クラブ=街(地域)+クラブ

経営者とは、自分目線で形作りたい世界の中心に位置し、その中の一部として何かを生み出し動かしていく人のこと。そこには必ず「実社会」が存在し、別に「理想郷=ユートピア」を作りたい人を指すわけではない。

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