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メダル

<岩手県立総合教育センターメルマガ133号2020.03.11より一部改変>
「メダル」 
 実家には、あるマラソンレースの完走者に贈られるメダルが飾ってある。そのレースの名称はニューヨークシティマラソン。2002年に還暦を迎えた父が車いすで完走したときのものだ。
 父は若い頃に海運会社の船員だったので、外国にも何度か行ったらしい。私がまだ幼い頃、父が話す外国でのエピソードを今もぼんやりと覚えている。そのおぼろげな記憶の中で、ひとつ鮮明に覚えている話がある。それは、次の出港先がアメリカ(ニューヨーク)と決まり、期待に胸躍っていた矢先、仕事中の事故で大けがをしたという話だ。その日から父は車いす生活となった。

 それから数十年が経ち、何の前触れなく父の口から飛び出したニューヨークシティマラソン参加表明にはさすがに耳を疑った。何せ父はこれまで車いすで外を走ったことはほとんどなく、そもそも競技用の車いすも持ってない。そんな周囲の心配をよそに、様々な障壁を乗り越え参加が決まったとき、幼い頃に聞いたあの話がふと頭をよぎる。けがで一度は断たれたニューヨークへの道が、まさかこんな形で実現する日がこようとは・・・。父の夢を叶えてくれたボランティアをはじめとした皆様には、いくら感謝しても足りない。
 
 参加が決まってからの父は、体を動かすだけでなく、あの手この手と英語の勉強にいそしんでいた。当時の私はその様子をどこか冷ややかに見ていたのだが、今になって思い返せば、自身がニューヨークで英語を話す姿を想像でもしていたのか、父の表情はまるで、学びに胸を躍らせる子どものようであった。
 
 子どもたちが学びに胸を躍らせながら学校生活を送ること。そして、子どもたちが大人になっても、学びに胸躍る情熱と好奇心を持ち続けること。そんな環境づくり、人づくりが、私たち教師の仕事なのだろうと、父のメダルに触れて想う。

 さて、今年(当時)はオリンピック・パラリンピックイヤー。日本選手はいくつメダルを獲るのか。メダルを手にする選手もそうでない選手も、そこに至るまでにはきっと、胸躍るエピソードがあるのだろう。

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