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excelをろくに使いこなせない時短ママ社員が、目の前の親子の課題をどうにかしようと新規事業を起こした話

2020年1月。

私は会社の代表から「いっちー、新規事業やってみなよ」と言われて、戸惑っていた。

(新規事業って何・・・?そんな、「やってみなよ」みたいな軽いことじゃないでしょ・・・・)

そこから、足掛け2年。エクセルもろくに使いこなせず、横文字が出てきたらこっそりスマホでググるような私の、新規事業立ち上げストーリーが始まった。

●「君以外に誰がやるの?」

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事のはじまりは、こうだ。

私は2019年の夏ころから、いわゆる「ソーシャルアクション」「ロビイング」というものを見よう見まねで始めていた。

幼馴染の友人が、双子を産んだことがきっかけで、いろいろなことに苦しんでいた。いてもたってもいられず、いろいろな人にアドバイスをもらいながら、「多胎児(※注 双子以上のこと)の育児は、こんなことが大変なんです」という声を集めていた。

1600件弱の声をアンケートで集めて厚労省で記者会見を開き、テレビやWEBなどいろいろな媒体に露出させてもらった。

そんなソーシャルアクションの甲斐もあって、東京では「ベビーシッターが実質無料で利用できる助成」ができることが分かっていた。その朗報を、私は「よかったなぁ。これで双子三つ子家庭の負担が少しでも軽くなりますように、、。」と考えていたのだ。


が、その朗報から数日後、会社の代表からランチタイムに「出来た助成制度を活用した新規事業を考えてみなよ」と言われた。

私の頭の中はこうだ。

(ししししし新規事業って、アンタそんな簡単に、、、私は経営学部はおろか大学すら出ていないし、そもそも「新規事業」っていう四文字を発するの初めてくらいなんですけど、、、、)

相手は上司なのでそんな言い方はしなかったものの、やんわりと「そういうことが出来る人にお願いしたほうがいいのでは、、ごにょごにょ」と答えたら、タイトル通りの言葉が上司から返ってきたのだ。

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「だって、君以外にだれがやるの?多胎児家庭の親の心の叫びを一番わかってるの、いっちーでしょ。」

上司の言うことはもっともだった。多胎児育児の困難さや親の負担について、当事者以外ではおそらく、私が日本で一番わかっている自負があった。それを世に訴えて制度を変えることをゴールに見据えてしゃかりきにやってきたが、今度は自分がサービスを作る?

そんなこと私にできるのだろうか。不安しかない中で、「多胎児家庭支援プロジェクト」は発足した。


●まずは社内有識者を頼る

代表のジャニーさんばりの(※「YOU、やっちゃいなよ」)ムチャブリに恐れを抱きつつも、まずはサービスの原型を考えることになった。

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とはいえ、私はビジネス書なんて普段読まないし、なにから始めるのがいいのかすらわからない。「何がわからないのかがわからない」状態。

まずは、前職で新規事業を立ち上げたことがあると聞いたことがある女性2名に声をかけランチタイムに話を聞いてもらうことにした。

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一人は、調査会社出身のCさん。もう一人は、リクルートでバッリバリに新規事業をしていたNさんだ。幸い、二人とも、ここまでのソーシャルアクションは社内報などで知ってくれていて、多胎児家庭を助けたいという想いには共感してくれていた。

会の初っ端に私が「で、何から始めればいいのかがわかんないんです」と伝えると、二人は(マジかよ、そこからかよ・・・)という表情ながら、私にいろいろことを教えてくれた。

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参考になりそうな本。アンケートから読み取れる多胎児家庭の真のニーズ。バリュープロポジション、リーンキャンバス。二人からどんどん出てくる、聞きとれない横文字やかっこいい単語に私は一瞬で溺れかけたものの、なんとかそのランチを終えた。


●「経験がないことを言い訳にするの、やめませんか」

それから二人には、たくさんの時間を割いてもらった。Cさんは調査分析のプロとして利用者インタビューを一緒にやってもらい、サービスのニーズは確かにありそうだという仮説を立てることができた。

この時点で、構想開始から、早くも半年が経っていた。

が、私はこの時期になっても「私が担当でいいのだろうか」という不安が拭えなかった。CさんやNさんのような頭のキレる人がやったほうが良い結果になるのではないか、といつも思っていたのだ。

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ある日私がいつものように「こういうの経験がなくってわからないんですよね、、」とぼやくと、Nさんは「いっちーさんは『経験がない』という言葉をよく使うが、誰にだって初めてはある。新規事業のお作法は、私でもCさんでも教えられるから、もう経験がないことを言い訳にするのはやめませんか」と言われた。

衝撃だった。自分の気持ちを見透かされ、諭されたのだ。とても恥ずかしくなって、その日の午後は仕事が手につかなかった。

帰り道も夕飯も、Nさんの言葉が頭を離れない。「経験がない」を言い訳にして、私に課せられた役割から逃げることはできない、と思った。

翌日、私は直属の上司との面談で、「新規事業開発に集中したいので、異動させてほしい」と願い出た。

●少しずつ集まってくれた仲間と、いよいよトライアルがスタート

2020年秋、社内会議を経て人員調整が行われ、サービスのトライアルを冬にスタートすることが計画された。CさんとNさんはこのころから所属事業が繁忙になり、新しくSさんとWさんがアサインされることになる。WEBチームのメンバーIさんにも加わってもらい、総勢4名の小さいチームでの船出であった。

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サービス初日、12月1日。利用者からの依頼はなかった。翌日も、なかった。依頼があった場合に通知されるメールを何度リロードしても、まったく依頼が来ない日が続いたのだ。

私の予想では、初日1件。次の日2件。そこから口コミで利用が広まり、毎日依頼が絶えない人気サービスになるはずだった。

今思うと、当たり前なのだ。多胎児家庭は、そもそも「情報弱者」になりやすい。マイノリティゆえに、地域に同じ多胎児家庭の友人を作ることが難しく口コミが使えない。既存のサービスに「双子はちょっと・・」と言われる経験が多すぎて、そもそもシッターを使えるという認識がない。

課題をわかっていたはずなのに、新規事業をまずスタートすることに夢中になりすぎた私は、そこを見落としていたのだ。

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そこから、地道なマーケティングが始まった。WEBの大海に広告を出しても、地域限定かつ多胎児家庭のみというニッチofニッチなユーザーは全く捕まえることができなかった。

世はコロナ真っ最中、区主催の双子会なども軒並み中止。来るかどうかもわからないが、寒空の中で保健所の出口を3時間出待ちしたこともあった。毎日、準備をして待ってくれている保育スタッフに「今日は依頼がありませんでした」とチャットするのが申し訳なく、惨めで仕方なかった。

●初めての利用者獲得!語られた多胎児家庭の「リアル」

初めて利用があったのは、サービス開始から半月を過ぎたころだった。その日も諦めの雰囲気が漂う中、依頼があったことを知らせるメールがついに届いたのだった。

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「上の子が幼稚園から返ってくる時間帯のサポートがしてほしい」というリクエストに保育スタッフはばっちり応え、その日のサポートは終了した。自分たちが1年かけて考えてきた考えてきた事が現実となる瞬間。私はこの日を、大げさではなく、一生忘れないと思う。

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(↑当日にメンバーと送り合ったチャット)

初の利用者となったAさんには、その後も利用者インタビューなどを通じていろいろな「多胎児育児のリアル」を教えてもらった。

自分が育児を十分にできていないのではという焦りや申し訳なさ

子供たちの笑顔をみたいと心から願っていること

保育スタッフがきてくれたことで穏やかな数時間が過ごせたこと

そんなAさんの声に、メンバーは「このサービスは絶対に多胎児家庭に必要とされている」という自信を持ち始めていた。夢中だった。


●涙のサービス停止

2021年6月。

サービスを開始して半年がたち、順調に地域を拡大して、利用者も増えてきたころに、未曽有の「RSパンデミック」が保育業界を襲った。

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RSは例年流行のある感染症でがあるが、この年の流行は過去に例がないほど。

私の会社はもともと訪問型病児保育を基幹事業としているため、このRSパンデミックへの対応にスタッフがかかりきりになり、多胎児家庭のサポートになかなか出られない日々が続いた。コロナで保育園の登園基準が厳格化されたことも、予想できていなかった。

利用者のニーズに満足に応えられない事が数週間続く。私も毎日現場に出ていたが、サービスの体をなすことが出来ず、ついに限界を迎えた。

サービスの一時停止、という選択。

今まで出会ってきた多胎児の親たちの顔が浮かんでは、申し訳なさで一杯だった。同僚に励まされながらなんとか気持ちを立て直そうとしたが、悔しくて悔しくて悔しくて、眠れない日が続いた。ヘビーユーザーがくれた「再開待ってます」のメッセージを見つめて、日々を過ごしていた。

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結局サービス停止期間は二か月弱にわたり、再開時には「もうこんなことに度と起こさない」と、体制強化へ邁進することになる。

●ある利用者からもらったメッセージ

もともとサービスのトライアルは2022年3月をもって終了することが決まっており、正式にリリースするか、このままトライアルで終了するかは、社内の特別会議にかけての判断だ。

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事業モデル図、財務シュミレーション、課題管理表、マニュアル、予算書。会議のための慣れない資料を悪戦苦闘ながら作っていたころ、ある家庭と出会った。

Bさん一家は双子が生まれたばかりで、上にきょうだい児がいた。とにかく睡眠不足で、手が足りないから来てほしい、そんな依頼をほぼ毎日してくれるご家庭。愛情深く子供たちを育てようと頑張るその姿に、私も元気をもらっていた。

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Bさんが、ある時利用者アンケートでこう答えてくれた。

「心強くて、1人じゃないと何度も思えました。」「お母さんよく頑張ってるね、って言ってくれることがとても嬉しくて、泣いてしまいそうな事が何度も何度もありました。」「私を救ってくれて本当にありがとうございます。

頭をガツンと殴られたような気がした。いつも明るい彼女の笑顔の裏には、こんな感情があったのだ。

こういう人を助けたくて、経験も知識も何もなかったけど、私はサービスを作った。彼女のような人がまだ都内にはたくさんいて、サポートを待っているのだから、絶対にリリースさせて見せる。

そう心に誓った。

サービスの正式リリース決定

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1月某日。社内会議に臨む前に、Bさんからのメッセージをもう一度読み返していた。

「私を救ってくれてありがとうございます」

こんな言葉を多胎児家庭からもらえるサービスを、私達は作った。確かな手ごたえと数値が、その根拠だった。

もうそこには、「経験がない」「やったことがない」を言い訳に逃げ道を作る私はいない。胸を貼ってこのサービスを稟議にかけ、満場一致で、リリースの決断をもらえた。

おわりに

友人の抱える課題をきっかけに私が新規事業を立ちあげるに至るまでには、とても幸運が重なっていた。

声をかけやすい同僚の中に、新規事業経験があった人がいたこと。ソーシャルアクションの始まりからずっと、会社が応援の姿勢で伴走してくいれていたこと。結果の見えない事業の可能性を信じ、メンバーが一緒に走ってくれたこと。

奇跡のような環境でトライできたからこそ、大学も行ってなくて、エクセルもうまく扱えなくて、ビジネス書をほとんど読んだことのない私でも、ここまでこぎつけられたと思う。

今、もし「経験がないこと」を理由に新しいトライに躊躇しているひとがいたら、(Nさんの言葉をこっそり借りて)「誰にだって初めてはあるよ」と、ちょっと知った顔で言うと思う。

やっとスタートラインに立てた。まだまだ、ここから。


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