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「与えてるのに…」の不足感と疲れ

“私はちゃんとやってるのに…
なんで分かってくれないの?”

と、私が過去、
この沼にハマって抜け出せず、
ずいぶんもがいていたのです。

夫や子供に対しても職場でも、
自分のやらなきゃならない事も
疲れていることも後回しにして、

皆んなが便利なように楽なように
先回りしてお膳立てしてる

献身的な良妻賢母、
貢献できる仕事人となれることが

私の価値観の目指すところだった

だけど、
誰も認めてくれない。

どころか、ダメ出しの連続の日々…
当然私の中では不満が充満する

私はこれだけやってるのに!
なによ!!

と、こんな状態でした。

いま思うと、陥ってた穴は

①私の価値観が最良のものと思ってい
②相手にどこかで私の評価を期待してた

私のやってることは正しい。
私のこうあるべきの枠があって
入らないものを認められなかった。

なんと、狭い視野と思考で凝り固まっていたか…。

けれど、これは世代的には
あるあるではないかなと思っています。

昭和の家庭環境や教育。
自我を抑え、辛抱が美徳。みたいな…

もちろん他者に貢献することは
素晴らしいことだと思っています。

だけど、大切なのは、
そのときの自分の心がどんなかな?と
いうところ。

それによっては同じことをやっても
不満の対象にもなるし、
悦びにもなるし…、です。


心を置いてきぼりにして
他者貢献の「形」だけを賛美して、
型にはめようとするから
段々とズレが生じてくるのも当然かなと思います。

最初の、
“私はちゃんとやってるのに…
なんで分かってくれないの?”というのも

「ちゃんと「形」をやってるのになんで?」
の状態です。

当時の私は
「心がどうか?」なんて
全く気付いてなかったです。

今思えば、
周りに評価してもらうことより、
疲れてる自分の心に気付いて
寄り添ってあげればよかったな…と。

大切なのは
どんな意図(心)でやっているか?です。

同じことをやったとしても
その差は大きい。

量子力学的に言うと

量子力学的に言うと、
“発振してるフォトン振動数が全く違う”
ということになります。

当然、発振するそのフォトンが
仕事場でも家庭でも場を揺らすので、
お相手にもその振動数が響きます。

イライラフォトンは
イライラの振動数に共振して
自分に返ってきて・・を繰り返します。

家庭や職場の居心地の良い悪いも、
つまりは場の振動数で、
私発振のフォトンで揺れていたんでしょう。


向き合い方が変わると、

“私はちゃんとやってるのに…
なんで分かってくれないの?”は、
今では全く無くなっています。

トラウマやストレスを無視せずに
ちゃんと心の声を拾うこと。
(自分のエゴを満たすのではなく)

小さなことでも
モヤっとが感じたときは
必ず、“私”に問いかけてみる。

やってみてくださいね。

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