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2023年6月8日 4回生ゼミCA

テーマ

「ミス/ミスターコンクールの開催に関する是非について」

記事

日本では多くの大学でミスコン、ミスターコンといったイベントが開催されている。このイベントをひとことで説明するならば出場者の中で外見や容姿が最も優れている人を選ぶものであった。しかし、昨今ルッキズムによる差別の助長が叫ばれる中で、このような外見や容姿で参加者を競わせることがルッキズムであるとの批判にされらせてきた。実際に上智大学では2020年にミスコンを廃止し、「ソフィアンズコンテスト」を新たに設立した。このソフィアンズコンテストは、男女の区別をなくし、候補者が容姿だけで評価されることをできる限り避けるため、審査基準も工夫をこらした。実際にソフィアンズコンテストのサイトを見ると「全上智生から選ばれた候補者が、ソフィア祭までの活動期間の中で自身の魅力と社会課題を発信するインフルエンサーとしての活躍を競います。SDGsを通して社会課題の認知度向上を目指しています。」と記載してあった。
 しかし、いくらコンテストから容姿の要素をできる限り排除しても万人が求める規範にあう人がこのようなコンテストでは勝ち上がる。それは、個性を重視する現代の流れに逆行しているものであると考え、立論するに至った。

※1 コンテストは大学、企業の実施するもの全てを対象とします

議論:立論者の立場と意見、及び反論

立論者は、ミス/ミスターコンクールの開催に反対の立場をとる。(反論は「賛成」の立場から行う。)

前提確認

・容姿を採点基準とするものに論点を絞るか。
→ミス/ミスターコンクールの全てを議論に含む。

・ルッキズムは論点に含むか。
→含む。

・世界全体を議論の対象にするか
→はい。

議論①

従来のジェンダー規範に加え、別の規範や判断基準を取り入れたコンテストになっている
→明確な選考基準がない中で人々が選ぶ勝者は、自己表現するかに関わらず容姿や、投票者の要望に沿っているかを基に評価され、外見含め「理想の女性像、男性像」に合致する人が選ばれる。これは、結果として男女に関わらず人はこうあるべきという理想を大衆に押し付けるものである。このようにコンテストでは「いい人、素晴らしい人」を求められ、そこから外れた意見を持つ人は自ずと排除されていくと考える。

議論②

男女を分けることが今の時代にそぐわない
→上記のように上智大学では男女を分けずにコンテストを開催しているが、多くのコンテストは現在も性別を分けてコンテストを行っている。ジェンダー問題について議論が交わされている昨今の現状を踏まえると性別をカテゴライズし、競うコンテストは時代にそぐわない

・世界三大コンテストの1つはLGBTQの人でも参加できるように改正されているので、男女で分けることは解決に向かっているのではないか。
ミスコンの由来は女性の社会進出。女性の地位が上がるという目的が達成できるならそれでいいのではないか。
→現状本当にそうなっているかといえば怪しい。目的を達成できればいいが、女性の社会進出から趣旨がズレてきているので、それは問題では。


議論③

多様な個性に対して順位付けする矛盾をはらんでいる
→個性を尊重する時代であり、それぞれの出場者が自己PRなどで唯一無二の個性を発揮していくのに対して、順位をつけることは、多様性を否定することに繋がるのではないか

議論④

熱する商業主義
→現在多くのコンテストで協賛企業がついており、コンテストの商業化が進んでいる。この商業化の動きが加速すると結局は、コンテストに注目を集められる人、また交遊関係が広い人などが勝ちやすい傾向になる。出場者の商品化。(駒沢大学のオンラインでの投げ銭の額を競うことなど)

・ルッキズムがあることの何が問題なのか。立候補性であることやその後のマネタイズに繋がることも考えればいいのではないか。
→容姿によって差別が生まれるのは問題。一部出場者に還元されているとは思うが、実際に設けているのは商業側になっている。
・ミスコンは赤字経営になっていることが多い。会場費が高いことが多いので、運営側が得られるお金は微量。
→協賛企業が求める人物が良しとされることが問題。
・それがミスコン。本当の目的は女性の社会進出。でも開催には協賛企業が必要。
→主催者側と参加者側にある認識のズレがルッキズムに繋がる危険性がある。

・ミス慶應が中止になった場合、億単位の損失が出たというデータがある。出場者が商品化されていることは本人は同意済みのはずなので問題にはならない。消費側の需要や経済効果などがあるので、商業化を問題視する必要はない。
→どの程度認識して参加しているのかはわからない。想像以上に商業化が進んでいる。億単位の損失は許容範囲。開催期間・準備期間・選考フローなどを考えるとエンターテイメントの域を超えている。

・準備期間や開催期間をキャリア形成の一環だと捉えることもできる。
→キャリア形成を目的としている人も一定数いると考えられるが、大半はそうではないと考えられる。

議論⑤

明確な評価基準がない
→容姿にしろ、社会貢献へのアプローチにしろ明確な正解という基準がないにも関わらず採点をし、順位をつけることはもともとの競技性にも問題があると考える。特に容姿に関しては、人それぞれ好みがあり、明確な採点基準を作ることすら難しいものである。

・ミスコンが駄目な理由はない。体育祭なども競われているが廃止という議論にはならない。
→体育祭は競ってる場所が同じ。ミスコンはルッキズムの問題が根強く残っているため他のものとは事情が違う。

・やりたい人が勝手にやってるだけなので、排除するほどではないのでは。
→規範をつくってしまう要因になっている。

予想される反論・再反論①

コンテストに参加することで意見を発信できる称号が得られる
→かつては、ミスコングランプリなどの何かしらの称号を得ないと自身の意見を発信する機会すら与えられなかったが、今の時代はだれでもSNSで発信できる時代である。このような場を設けなくても意見を発信できる環境はある。

予想される反論・再反論②

社会問題の発信といったコンテスト参加者にしか果たせないものがある
→コンテストに出場しなくても自身の意見は十分発信可能である。

予想される反論・再反論③

容姿以外の項目を設けることでルッキズムから脱却している
→容姿の項目がある以上ルッキズムから脱却出来てはいない。また、その他の評価基準をべースにしたとしても規範を押し付ける危険性があることに変わりはない。

講評:教授から

外野が騒いでいるだけで実際に参加している人はそこまで感じていないのではないか。
経済が動いていることは事実。
負けた人が言っている。
どこまでが見せ物なのか?
主催者側は儲けているから諸問題に対してどう折り合いをつけるかを重視している。
この手の問題はミスコンに留まらず、今後あらゆる場面で問題になってくる。

参考文献


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