古代の春 一

夢の向こうから鶏の長鳴きが聞こえてくる。
眉をしかめ麻衾あさふすまを引き上げる。
ゆっくりとうつつに戻ってくる手足と鼻の頭が感じているのが、前の朝のような寒さではない事にハヤタリは気が付いた。
耳を澄ますと鶏の長鳴きの間に住処すみかの周囲の葺茅ふきがやに当たる微かな雨の音が聞こえてくる。
まだ暗い中で、ととさまとかかさまが身を起こした。
隣で寝ていたあねさまも目を開けていた。
ハヤタリは住処の入口まで行き、掛かっている筵をそっと開けてみた。
外は静かな雨が降っていた。
海の方の空には雲の切れ目が見え、微かに明るかった。
ととさまとかかさまが火を起こし始め、住処の中に光が閃いたが、ハヤタリは雲の切れ目が刻々と色と姿を変えていく様から目が離せなかった。
風は弱かったが雲は足早に切れ切れになり、ハヤタリは入り口から頭を出して上を見上げた。
入り口の茅から滴が顔に落ち、慌てて顔を擦って目を開けると、頭上の雲も薄くなり始めている。
かかさまに呼ばれて空腹に気付いたハヤタリは、大急ぎで炉の傍へ行き座り込んだ。
「雨が止むまで縄でも綯うか」ととさまが言い、ハヤタリは渡された椀の汁をすすりながら頷いた。今日は海に行かなくても済みそうだ。
安心したような顔のハヤタリを見てととさまは笑いだした。
「冬が終わるのが待ち遠しいな?」と言われてハヤタリは目を白黒させたが何も答えなかった。
あねさまが「かかさま、私が藁を打つ」と言い、かかさまは「ああ、そうしておくれ」と答えた。
次第に外の明るさが増していくのが住処の中に居てもわかる。
椀を洗いに外へ出ると海の方角は雲間から地上へ光の帯が射していた。
小雨の中、むらは静まり返っていた。
林で囀る鳥たちの声が聞こえてきて、ハヤタリは林の入り口へ歩き出した。踏み固められた道が落ち葉に覆われて見えなくなり、葉を落とした木々が立ち並ぶ林の入口まで来ると鳥たちは黙ってしまった。
落ち葉の下に鮮やかな色が垣間見えて、ハヤタリは屈んで落ち葉を避けてみた。
ふふきの芽だ。
太占ふとまにの婆さまがもうじき冬が終わると言っていた。
もうじき、春になる。

春の雨


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