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海の近く田を営む邑
10年ほど前に、志波城のマスコットキャラクターしわまろくんとのTwitterでのやり取りを発端に、少しづつ発展して行ったイマジネーションがありました。
駿河湾に安倍川が流れ込んで形成された扇状地、後に駿河国の一部になる、小ぢんまりとした静岡平野の南部には弥生時代にはいくつかの集落がありました。
弥生時代中期後葉に最盛期を迎えたと考えられる拠点的集落(有東遺跡)、弥生時代中期から中世まで長く人が住んだ痕跡のある集落(瀬名遺跡)。
弥生時代後期に成立したと考えられる、短命だったけれど規模の大きな水田耕作を行っていた集落(登呂遺跡)。
登呂の集落が廃絶した後、その周辺で営まれたいくつかの小集落。
それらの集落で暮らしていた人たちはどんな風に日々を過ごし、何を思っていたのだろう。
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