強権政治に ”人権” は、存在しない
もう、そう断じて構わないでしょう。ダブルスタンダードは強権政治につきものです。現政権に都合が良ければ、何枚でも舌を使う。以降、妄想です。
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そして、強権政治には ”熱狂的な支持者” もついて回ります。現政権の棟梁とその支持者達は、「自身に酔う」 という銘柄のお酒をたらふく飲むのが大好きです。翌日の二日酔い覚ましに朝からシコタマ浴びるように飲みます。これは、もはや、依存症のなのです。
彼らの酔った目には「人権」は、酒の肴に移ります。しょっぱければしょっぱい方が口に合う。清冽な香りは面白みがないので、臭みの強い薬草を混ぜ合わせて口の中で暴力的な味に仕上げます。
酔った口から発せられるのは「治安維持!財産の保護!」です。叫ぶだけで体は動かさない。というより、動けない。悪い二日酔いの為、必要な行動がとれないのです。
できるだけ、忠実な近習をつかう。それは、二日酔い止めに奔走することも含めて。「そんなのは、わたしの取るべき行動ではない」と反発すれば、叱責を食らいます。二日酔いで至極不機嫌な強烈な嫌味で ”進退伺” を言わせるような勢いです。パワハラ以外の何物でもない。近習にしても ”人権” は存在しないのです。
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今、両国に必要なのは、”誠実な右派” なのかもしれません。”右派” の定義は「秩序を大切にする」ということ。”誠実” の定義は「国民と向かい合い、話し合いながら秩序ある社会にする」行動の事。
そして、依存症にならない ”素直” な性格が必要です。極端な支持には懐疑的で、自然な流れを注視し ”素直さ” を失わず、自身の思う事は ”説得・納得” の手法で発信する力量を持っていることが重要。
わたしは「安定のための秩序」は必要と考えていますから、ある意味、”右派” なのだろうと思っています。「必要なコトを ”説得・納得” で根気強く働きかける」つもりではいます。その力量が足らず、しばしば ”気短” な言動をすることがあり、後に二日酔いの反省の中にいる様な心情になります。
けれど、”気短” を正当化することは断じてしたくない。それに酔う事もしたくない。実直な根気強さを失ったとき、自身を失うのだと思っているから。
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