人間を支える責任は、人間以外が担う

文明が発達し、捕食動物から命を取られることがなくなると、自分の時間が増えてきます。集団で個体同士を護る構造から自身で護れる構造へ変わっていきます。

自分の時間を有意義に使う事が幸せとなり、それを見て育った子供たちも自分の時間を第一に考える。その人たちが長じて親となっても、そこは変わらない。そうすると、それを見た子供たちは「子育てや介護より自分の時間」を優先するようになります。

やがて、子育ても介護も停滞するので「義勇軍」的社会構造を文明は築き始めます。だが、その人たちも自身の時間は大切であり、ワークシェアリング的に "義勇" に参画する一人当たりの時間を短めにしていきます。

子供が減っていく中で介護は増えていく。シェアリングする時間の割合は "介護" が増えるようになり、子育てにはますます時間を割く機会がなくなり、子供が増えなくなるというスパイラルになっていく・・・

一人の人間がどんな時間を過ごすのか。自身のために割く割合を増やせば、少子高齢化は進んでいくという "自然の法則"。解決策は、文明を築きにくい「人間を捕食する生き物」を増やすことでしょうか。それがウィルスであったリするのでしょうか。

文明は発展させたい。自身の時間も大切にしていきたい。社会構造として子供や介護を適切な割合で保ちたい。

この「ないものねだり」に近い状況に何としてでも到達するためには「科学」の力に頼るしかなさそうです。結局、「人間による義勇」ではなく、人間以外の "能動" により、子育ても介護も熟していくという道しかないのかもしれません。

私たちは「おむつに始まりおむつに終わる」生き物です。その昔は "おむつ" さえなかった。支えられながら成長し、支えられながら人生を終える。支える人たちが居なくなろうとする、今、その責任は人間以外に向かうのかもしれません。

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