介護される側・する側:満足のある終わり方・終わらせ方

生きるとは成長する事。年を取って、介護される側・する側になると、成長を実感しにくい。"生きている実感が乏しくなる" ということ。

される側・する側も、なにかと気忙しい。ともに様々に思いを巡らし疲れていく。その後は非現実的な世界へ逃避すことも多くなり、するべきこと・言うべきこともすくなくなって、動から静へ一気に冷えていく。ただひたすら、終わりたいと願うばかり。

それが、高齢化社会の標準とならない・しないために、いまから備えなければならないことは、"介護を能力(調査・分析・解読・活用):リテラシー" に変えていくということなのでしょう。それにより、される側・する側の成長につなげ "生きている実感" を醸し出す、仕組みと仕掛けが必要なのだと思うのです。満足のある "終わり方・終わらせ方" になろうとすることが重要なのです。

される側・する側も、「・・・生きているだけで辛い」ことから「生きていることが楽しみ」に変えられる社会づくり。本記事にある通り、団塊二世代などの国の年代構成のアンバランスを補うためにも、その骨格作りを急がねばならないと改めて思った次第。

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