「虚実」をまなび、"備蓄" を考える

経済を解釈する時、「たら、れば」をよく看る事。という、教訓として読み取りました。

1分1秒先は、わからない。「たら、れば」は、現実になりうるし空虚にもなる。あるのは、「現物の備え」だけなのでしょう。

貨幣に置き換えれば価値が下がる現物も、手元にあって有事に使えるようにしておく。そうすれば、生き永らえるかもしれません。備蓄の知恵は、人間が誕生して以来長い歴史があります。

オンライン・デジタルでない現物の備蓄。それは、貴金属・レアメタルでもないのでしょう。そう、"人" そのものなのです。

有事の際、人は互いに助け合い、一人一人の生存確率を上げようとします。そこに、必需の分け合いが起こります。これが、原始の経済と考えています。

現在の高速に変動する価値・経済に疲労し人は "論理的に減って" いきます。必要とされていない。貨幣だけが価値を持つ。

だが、有事は虚像を許さない。実像だけが残ります。その時、価値は人に移る。

こう書いても「たら、れば」でしかない。有事はどんなものか、いつ起こるのかもわからない。人の価値が見直される時のために、どんな必需を備蓄すればよいのか、それを見抜くためにも、今の経済・虚実を知っておこうと思った次第。

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