生身を隠して "役" に徹すれば 生身も変わるのか

(以降、日経ビジネス社電子版の記事を読んだ自身の考えの記録)

余計なことをせずに役に立つ "習近平" さん。権力を握れば見渡せる世界が変わる。鄧小平さんも江沢民さんも胡錦濤さんも、同じ道を歩んだと思っています。

"役" に立つ時代に称賛されようとも、権力を握った後は別人となって、14億人をまとめる "役" に徹する。徹し損ねて "大根役者" になってしまえば、切り刻まれて鍋に放り込まれて喰われてしまう。

中国における大罪人は、"動乱を許した統領" というところか。今でいうなら、A4白紙を掲げて現政権を否定する人々を「動乱にまで流れを作った」 "張本人" になってしまうこと。鄧小平さんの時代に "張本人" とレッテルを張られた総書記がいました。軟禁状態で亡くなったといいます。

その頃(六四天安門事件)、習近平さんは、アメリカにホームステイなどしていた頃で "自由" が何かを肌で感じ取っていたのでしょう。2000年初頭の福建省長のころは、対岸の台湾経済界とうまく渡り合っていたといいます。

また、女性には頭が上がらない?という風評があり、一族のことは姉のいいなりで、家庭内では強気な配偶者に「不(ぷー)」とは言わない?ようです("クマのプーさん" にはなれない)。

周りが押し上げ上役が引き上げる。その段階ごとに景色が変わり野望も広がっていく。別人のようにふるまわなければ階段を上っていけない。真剣勝負で時々の "役" を演じ切る。今は、絶対権力者としての役割を担っているというところか。

ライバルのいなくなった今、若かりし頃の本当の生身の自分に戻れるのか。それは、14億人をまとめ上げる器であるのか。習近平さんの胸の内は如何ほどか。心中お察し申し上げるとともに、やはり、私は、"人を変え蹂躙する 強権・専制" が大嫌いなのだとあらためて深く思った次第。

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