止まない東京一極集中:21年、投資はそれを止められない

この記事にある通り、ビルやらなにやら東京の開発は止むことを知らない。なぜなら、大きな投資が利潤を生むからだ。

投資するに値するところ、東京。そこへ、「勝ちを求めて」集う人々。そこで勝てば価値が付く。箔も付く。高貴な伴侶も付くかもしれない。優秀な子孫と出会えるかもしれない。人生の終わりが穏やかでだれからも認められた一生を終えられるかもしれない。

夢。東京にはいつのころからか夢が集まるスポットとなった。夢は得体のしれない希望をもたらす。その希望を手に取るために人々は昼夜を問わず働く。当初の希望とは色も形も違うが、東京でしか実現できない何かをつかむ。だから、抜け出せない。まだ、夢を見ていたい。希望を失いたくない。

そこに投資しない理由はない。希望を求めて活発に動く人々が密となって炉のように熱して渦を巻いている。どんな結晶が結実するのか、投資する側にしてみればこれほど面白いところはないからだ。

東京を中央とするから "地方" が存在する。良かれと思って、空港や高速道路や高速鉄道網などを整備したが、東京へ集まるためのパイプの役割でしかない。なんとか、七大都市に希望を詰め込むことができて、そこへの往来は狙い通りとなっている。

それ以外は、いわゆる「骨粗鬆症」状態で、すこしの変動で折れてしまう過疎となった。だから、投資には向かない。だから、希望を持てない。だから、人々は去っていく。

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ぼくのところは、昨年800年続く祭りを中止しました。新型コロナの影響という表立った理由はあるものの、実態は神輿を担ぐ若者がいないから。なにより、世話をする人々が高齢化し世話も出来なくなっているから。

ぼくは、今、九州と東北を往復する仕事をしています。東北に長くて1か月滞在し、その地で作り込みと調整をする仕事です。行きと帰りは新幹線を使っています。日本の過疎から過疎へ加速した移動手段で日本の太平洋側を突き抜けていくわけです。

幼い頃、都会に見えた地方都市は老化して動かない人のようになっています。冬だからか、色もない。七大都市(八大都市の東京都区部を除く)を抜ける時、そこにも老いを感じます。なにやら匠気がない。商機がない。勝機がない。

九州から新横浜を抜け、多摩川を渡るその時から、「おっ」と思うのです。匠気・商機・勝機を感じるわけです。そして、上野・大宮あたりから、再び、心霊スポットから抜け出すような感じになります。

ぼくは中山間地に住んでいるから、広い場所に出るとワクワクします。それは、老いた地方都市でも変わりありません。旧豊前国や大宮から宇都宮にかけて広い場所を車窓から覗いていると「なぜ?」という思いに駆られます。さらに、仙台を抜けて盛岡までの間の私にとって広く感じられる場所。

土地にしてみれば、活力あってしかるべき場所は日本中にたくさんある。が、心霊が揺れない。何千年と続くまつりごとをあきらめたからか。あきらめざるを得ない状況に追い込んだのは現代の政そのものなのですが。

コロナ禍でも揺るがない一極集中。それを象徴するのが都市整備開発。だれも止められない。ぼくには正気の沙汰と思えない。けれど、東京への心霊は揺れ続ける。

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