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【深い社会】16 構成主義を射抜くプラグマティズム3本目の矢(デューイ)

朝の様子。
私たちはつい、子供を叱ります。

「ねえ、学校の支度してないの!?
もう少し考えて行動しなさい!」

ちょっと待ってください。
私たちは、日々考えながら生活している気がしています。
でも、考えるって何でしょう。
感じることと考えることは何が違うのでしょう。

アメリカの教育思想を大きく変えたのがデューイです。
高校で2年教え、小学校で1年教えて、デューイは大学に戻りました。
ジョン・デューイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・デューイ

大学で、カント・ヘーゲルについて研究し、講師、助教授を経て、教授になったのが、30才。
驚異的な速さです。

シカゴ大学に移った後、彼が作ったのが、実験学校です。
大学の付属小学校のはしりと言ってよいでしょう。

最初は個人宅を借りて生徒15人、教師2人で始めました。
その規模はすぐに大きくなり、最終的に140人ほどになります。

4歳から13歳までが所属。
教科書はなく、木工・調理・手芸・実験など様々な作業の中で、学びました。
学校に、図工室・食堂・手芸室・実験室を併設して、子どもが作業しやすいようにしました。
これは、日本の学校に、図工室や理科室などの特別教室がある由来となっています。
とはいえ、完全に自由ではなく、作業の過程で算数など必要な学習内容を取り込んでカリキュラム化していたようです。
そのための教材設定も子どもに応じて慎重に組まれていました。

さらにこだわったのが、一クラスの人数。
年齢を超えて、能力別、課題別で柔軟なクラス編成がされましたが、必ず1クラス8~10人でおさめました。
財政的にはかなり苦しかったようですが、そのこだわりは継続しました。
子どもの興味を高めながら、家庭的な雰囲気の中で、学習は進んだようです。
たくさんの参観者が来て、実験学校の様子を世界に広めていきました。

さて、デューイが、この学校で目指したことは2つです。

①学校は、子どもを中心とした小さな社会でなければならない。

当時の学校の指導方法は、一斉指導が中心。
規格化された内容を、工業製品を作るような方法で教育するのが当たり前だったのです。
これを子供中心に転回することを目指しました。

②学校で学んだ子供たちが社会に出たときに、社会の進歩をもたらす。

子どもは様々な状況のもとに進歩します。
そして、進歩した子供が社会に出たとき、社会自体にも進歩をもたらします。
子どもと社会との構成主義的関係を作り出そうとしたのが実験学校です。


構成主義の原理①
「概念はもともとあったものではなく、
 私たちが認識することによってつくられている。」


さらに、デューイは学校の在り方について提案するだけでなく、
学習過程についても研究を進めます。

感じることと、考えることは、何が違うのか。
デューイはこれを「信念」をもつことだとしました。
そしてその思考の流れを「反省的思考」と呼びました。

「明日、学校あるでしょ。何か大事なことない?」

「明日学校がある。
時間割をそろえないと、忘れ物をする。
忘れ物をしないと、先生に叱られる。どうしよう!」

もしくは・・・、
「明日学校がある。
どんな時間割だっけ。楽しみだな!」

こうしてやっと、子どもは考え始めます。
考えるきっかけは、「不安」と「好奇心」です。
「不安」か、「好奇心」がないと、感じるだけ。考えていないのです。

次に行動の見通しをもちます。

「時間割ってどうやって調べるんだっけ。
ええっと、たしか連絡帳に書いたはずだ。
ああ、忘れた。友達にLINEしよ。」

子どもは何らかの「暗示」をもっています。
頭の中に解決方法のデータベースをもっています。
それらを序列化して、友好な方法を選択・判断します。

次に調べ学習です。「探究」場面です。

「ええっと、明日は国、算、理、理だって。
やった、4時間授業。
しかも実験だ!楽しそう!」

こうして、子どもは考え行動することによって次の日の「信念」をもちます。

デューイは、
「不安」「好奇心」をきっかけにしてアンチテーゼを作り、
「暗示」「探究」で解決してジンテーゼを作る一連の流れを、
「問題解決学習」としました。

今では、この学習過程は
「課題の設定」「情報の収集」「整理・分析」「まとめ・表現」と
整理されていますね。


構成主義の原理②
「概念は、対概念を生み出し、再構成される。」


この問題解決学習で経験を豊かにした子供が、社会に出ていき、社会自体を進歩させていく。
言うなれば、問題解決の射手となった子どもが、構成主義社会を射抜いていく。

これこそが、デューイの目指した教育であり、社会科の究極目的でもあります。

さて、このデューイの教育思想、正しく世界に広がったでしょうか。
ここで、デューイの思想に大きな影響を受けたある国を紹介します。

日本?
それもそうなのですが、違います。
どこでしょう。

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