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【深い社会】20 向山氏から構成主義へのアンチテーゼ

向山氏は大森第四小学校として、都教組の東京集会で発表すると、東京代表として全国集会で実践レポートを発表します。
これが、「『自由で平等な場からの出発』~森ケ崎の子らとともに~」です。
くわしくはセミナーの中で村上氏より提案が出されます。

これは、集団主義教育へのアンチテーゼなのですが、構成主義から生まれるものたちへのアンチテーゼと言ってよいでしょう。

今回は、そのレポート(300部刷ってあっという間になくなったらしい)からではなく、
レポートのための向山氏のメモからアンチテーゼを見つけ出します。

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「死んでいる教室と生きている教室がある。
誰一人いない教室でこそ、それは感じられる。

殺風景で死んだ教室があり、整いすぎた中で死んだ教室がある。
乱雑で生きている教室があり、整って生きた教室がある。
教室を見る第一の視点は、それが生きているか死んでいるかである。
その上で第二の視点として整頓の様子を見るのである。

本物の教師は第一を重視し、形式的な教師は第二を重視する。
魂を大切にするか、形を大切にするか、と言う教師の心で決まる。

生きて整った教室への前進こそが教師の前進への表れである。
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つまり、構成主義は、形式主義に陥りやすいと言っています。

「方法が目的化する」

デューイの共産党批判と一致します。

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自由な場面で、子どもが活動するときは、その能力の限界がどこか測りかねる。
創造的活動をするためには自由な場と未来を示唆する批判が必要である。
未来の方向が無限であるからこそ、子どもの可能性が無限に広がる。
それは極めて創造的な活動である。

未来の方向を示すのは、主として教師があたるだろう。
それゆえ未来の方向を指し示すような力量を持った(経験的蓄積と創造する能力)教師のみが創造的な子どもをつくれる。

教師の仕事は二つである。
一つは自由な場の確保。一つは未来を示唆できる創造的能力。

ボロ班制度との接近の方法の違いはこの辺にありそうである。
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子どもは自由な場にいるからこそ創造的な能力を発揮できる。
逆に言うと、不自由な場であると創造的な能力「ジンテーゼ」を生み出せないと言っています。

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自由な場の確保の方法が一つの問題であり、あらゆる差別をなくすことがその主要な内容をさす。

未来を示唆することが一つの問題であり、現状を批判する中から作り出すのが、その主要な内容である。

競争(ボロ班)制度は、そのための一つの方法であるが、欠点の方が大きいことと、教師の創造的力量にウェイトを置かないことが批判される。

教師の力量の問題が解決されれば、大西理論の出発点は音を立ててくずれる。
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全生研実践は、教育技術の一つです。
しかし、目指していたのが、共産主義を志向する社会主義体制。
答えありきの技術。
教師の創造性を撥ねつける硬直的な技術でした。

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構成主義教育へのアンチテーゼ①

1 形式主義に陥ってないか。
2 子どもは自由であるか。
3 教師の創造性を阻んでいないか。
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さて、続きがあるのですが、ちょっと一回りしてみます。

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