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【深い社会】13 デューイは共産主義者になったのか

ある一本の論文が、法則化運動の論文審査の中で取り上げられました。
それは、子供の意見を把握するために、赤白帽を活用するという実践でした。

はじめに、白い帽子をかぶる。
分かったら、赤い帽子をかぶる。

子どもの思考を見える化したわけです。
教師は白いぼうしの子のところに行って、支援すればいい。

あったまいい!

さて、向山氏の論文に対する評価は何だったでしょう。

なんと、「特C」!
最低ランクです。


「授業中の『赤白帽』は話になりません。
確かに一つの方法であり、一つの技術ですが、
授業中の『赤白帽』がいいという人と、私の間には巨大なへだたりがあると思います。」


ギクギクッ!
どうして向山氏はこのように考えたのでしょう。

ソ連から追放され、暗殺者によって命を狙われていたトロツキー。
弁護団を立ち上げたのが、ジョン・デューイです。

ジョン・デューイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・デューイ

トロツキーと言えば、レーニンと共にソ連を立ち上げた1人。
スターリンにその場を追われたとしても、
共産主義を推進した重要人物です。

そのトロツキーを弁護したデューイも、同じ共産主義に染まったのではないかと、
アメリカの学者たちに批判されます。

さらに、当時は、アメリカの学者の中にも、スターリン共産主義派が多数いました。
人類の夢、共産主義を妨害するトロツキーを弁護するなんて、と批判します。

共産主義に染まったのか!
共産主義を邪魔するな!
まさしく前門の虎。後門の狼。

事実、デューイは、スターリンが権力を掌握する前のソ連に赴いています。
そして、その社会変革を観察しています。
レーニンの妻であった、クルプスカヤとも会談をしているようです。
クルプスカヤはソ連の教育分野を担当していたので、
おそらく、社会における教育の重要性、学校の在り方について話をしたと予想されます。

その上で、ソ連に対して「古い町並みも見られるが人々に活気がある」と
肯定的に捉えています。

では、本当にデューイは共産主義者となったのでしょうか。

実は、デューイはある雑誌で、「なぜ私は共産主義者でないのか」という論文を投稿しています。
以下、紹介します。


1 共産主義者たちは、その国の歴史を無視している。


マルクスの語る共産主義への道のりは、「資本主義→社会主義→共産主義」
という流れですが、それは、国の歴史によって違うはずだというのです。


2 共産主義の考え方を教条化してそのまま他国へ押し付けている。


その国の事実を無視して、狭い視野で国づくりをしようとしている、というわけです。
教条化したために、その国の事実を見ようとしません。
日本の共産党も、「天皇制打破」とか言ってましたね。


3 「資本家 VS 労働者」という図式にこだわりすぎて、その間、中産階級の人々を忘れている。


たしかに、中産階級の人たちは、資本主義を生かして、給与を投資に回し、自らが資本家となる要素を取り入れています。
2極化した考え方はなじみません。


4 暴力による革命を肯定することで、逆に階級差別に反対する人たちを弱らせた。


もともと共産主義は、左派の中の一つでしかなかったのです。
これらを淘汰してしまったことで、本来の目的であった、人々の多様性が失われました。


5 自分の主張を認めさせるために手段を問わない。手段が目的化している。


本来、人々の困り感を明確にするのがリベラルのはずが、いつの間にやら「アベが-」と騒ぐことが目的化した人々。
いるいる~!

向山氏が赤白帽論文を否定したのも、同じ原理です。
「子どもの学力を保障する」という目的が、
「子どもを管理する」という手段にとってかわられ、
いつのまにか、「子どもに対するいとしさ」が失われている、
そのことを鋭く指摘したのです。

私も含め、すぐに教師は油断します。気を引き締めねば。

さて、デューイは結果として、アメリカの社会変革は共産主義では追及できない、と主張しました。
その上で、トロツキーを弁護するために、調査委員会を作り、大量の資料を分析しました。
トロツキーが亡命していたメキシコにも何度も訪問しインタビューしています。

その目的は、トロツキーを弁護するというよりは、その調査を通して、共産主義の在り様を明らかにし、白日の下にさらすことだったわけです。

・モスクワ裁判は、先入観のない人に、真実を確かめる試みがなされなかった。
・自白を根拠としているが、その内容も、暴力に頼る入手手段についても、信用できない。
・トロツキーが、外国勢力との協定をすすめたり、資本主義をすすめようとした事実もない。

そして、1937年「トロツキーは無罪だ!(『Not Guilty』)」という記録を発表することに成功します。
78才の仕事としては、驚異的です。

そして、そして・・・・

その3年後、
トロツキーは、メキシコで暗殺されました・・・・。

あああっ。

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