鎌倉殿の13人 第38回「時を継ぐ者」

まえがき

 前回のラストの流れを見てもしかしたら、これまで残された史料とは大きく違う方向に進むかもと思いドキドキしながら観ていたんですが、まずザックリと見た感じとしては想像していた通りに落ち着いた感じでしょうかね
 今回は、全体の中でもちょっと気になったポイントを掘り下げてまとめていきたいと思っています。

時政の覚悟

 前回からの流れで時政邸内には実朝を連れ出してきた三浦義村と和田義盛が居り、義盛は裏でゴチャゴチャ繋がっている義村の話を聞かずに、時政と実朝が話をしている所に割り込んでいきました。

 このシーンはそもそも創作部分になるので(実際は実朝が時政邸に滞在中、時政の手によって侵されると政子・義時が知り、未然に三浦義村らによって救い出される事になります)時政の行動についても家族や自分を慕ってくれる人には甘い性格としているために、りくや実朝を逃した後で自害する流れに持っていったのだと思います。

 更には、りくが主導権を持って唆した説を取り入れていますが、慈円が書いた愚管抄には時政が主導したともあるため真偽は不明です。吾妻鏡は政子と義時の行いを正当化させるため、誇張している部分が結構あると見なしているため、個人的には牧の方(りく)にはそこまで時政を動かせは出来なかったのではないかと思っています。

義時の覚悟

 上にも書いている通り、実際は時政が事を起こす直前に実朝は救出されているため義時自ら兵を率いて館を取り囲む部分は創作となるのですが、今回のサブタイトルである時を継ぐ者の対象は、時政と義時だけではなく、義時と泰時の間にも大きな意味がありました。

 なぜ義時は泰時を自らの側に置いたのか、泰時自身は未熟なためかなかなか理解出来ずにいましたが、妻の初や八田知家が義時の思いを代弁していたように、まさに自分の様になるなと示したかったんでしょうけれども、本当にもどかしい感じですね…
 いずれ泰時にも親心が分かって、立派な人物になっていくのは分かっているんですが、そういう泰時の心の成長を暫くは見守っていきたいと思います。

鶯の鳴き声

 結局、時政は自害する直前にいつの間にか入り込んだ八田知家によって止められました。時政は出家し伊豆に追放されることになり、時政と義時は最後の顔合わせをしたのですが、ここで義時がありのままの思いを泣きながら時政に訴えていましたが、ここでの鬼気迫るような演技は思わず涙を流すのを忘れて見入ってしまいました。

 最後に時政が鶯の鳴き声について話をしていたんですが、イマイチ自分の中で解釈が出来ておらず、単純に場の重い雰囲気を変える為の時政の機転と捉えれば良いのか、今後への深い意味が込められているのかまではわかりませんでした。ただ、最後まで時政らしい別れの仕方だったのかなと思っています。

りく暗殺絡みの話

 あと一つ、謎の場面だったのは義時がトウを使いりく暗殺に向かわせたところで、確実に葬りたいのであれば態々人の多い御所の中で実行なんかせず、配流した後で実行すれば良いだけなので、何か裏がある?と勘ぐってしまったんですが、わざと失敗させるよう見せつけて(予め三浦義村とも会話済みでわざと戦わせたなど)二度と唆すなよと脅しを掛けたのかなと思ったんですが、直後のりくと義時の別れの場面では執権につくよう唆してましたので、あまり意味は無さそうな気がします。

 結局、考えられそうなのはトウの活躍する場面が暫く空いてしまった(頼家と善児を討ち取ってから5話くらい空いている)ので、無理に戦わせる場面を仕込んだのかもしれません。
 しかし、華麗な動きを見せていたトウですが、なんだかんだで義村に勝てず口説き文句の後で一瞬のスキを付いて何とか逃げ切りました。これまでの善児のように登場したら必ず犠牲者が出るような感じでもなく、今後どの様にトウを扱っていくのか不透明ではありますが、まさか義村に寝返り…なんてあったりするのでしょうか

ついに執権に

 義時が出仕するところで真っ黒な羽織を着ていましたが、徐々に悪に染まっていくという変化を印象づけているものと思いますが、今回時政に涙ながらに訴えていた所からも、結局は完全に悪人となっている訳でもなく
 今回平賀朝雅を討つ話にしても、朝雅がりくに嘘を吹き込んだ事で畠山が滅び、時政とりくも追放となった訳でこれについては自業自得としか言いようが無いので、これだけで義時が完全に悪に染まったとの判断は出来ないかと思っています。

 最後の場面では実朝の名で朝雅追討が奏上されたことに裏で誰かが手を引いていると見抜いて後鳥羽上皇が義時に対し怒りを向けていました。この場面については、将来に対しての布石というかいずれ対決するであろう相手について名前も知らないままではおかしいだろうと、この場面を入れたのではないかと思っています。
 そういえば、朝雅の最後は少し情けない感じに描かれていましたが、史料を見ると各地で転戦した上で最後は自害した(又は山内首藤通基に討ち取られた)となっているのでそれなりに奮戦したとだけは言っておきたいと思います

※来週はSP対談で本編がありませんので、本noteもお休みとさせて頂きます。