鎌倉殿の13人 第35回「苦い盃」

まえがき

 今回はサブタイトルにある「苦い盃」の意味合いについて、主に中心となるのは北条政範の死に関連しているものと見ていましたが、その他にもいくつか盃を交わす場面がありましたので、このあたりも何か絡んでいるのか考えてみたいと思っています。
 また、今回サプライズ出演で何の告知も無く大竹しのぶさんが登場されましたが、この場面についても感じた事を書いてみたいと思います。

千世の下向

 鎌倉殿となった実朝の御台所として、ついに京より坊門信清の娘である千世が鎌倉に下向してきました(前回でも少し話がありましたが、千世は後鳥羽上皇のいとこに当たる血筋となるため、後鳥羽上皇の目論見で実朝を手懐ける為に決めたような場面がありました)
 婚儀の場面についてですが、実朝は迷いがあるためになかなか盃を口にすることが出来ませんでした。この場面、実朝の心情としては気が進まないことで旨い盃も苦く感じたのでは…(恐らくこの場面もサブタイトルに絡んでくる場面なのではないかと思われます)

平賀朝雅の暗躍

 北条政範の死に関しては前回朝廷の策略で平賀朝雅が毒殺に関わったと思われる場面がありましたが、その死については詳細が語られなかったため、同行していた畠山重保の報告によって経緯を知ることとなりました。(政範が宴会中酒を飲んだ直後に倒れる場面がありました。サブタイトルである「苦い盃」は、まずこの場面の事を指しているのではと考えられます)
 更に、重保は毒薬の使い方について平賀朝雅が誰かと(主題歌の登場人物には医師となっていました)会話している所を目撃しており、後に平賀朝雅に問い詰めていたのですが、実際口論となったのは政範の死の前日に行われた酒宴の席での出来事となっている事と、この上洛に時政も同行していたと確認されているので、政範については恐らく本当に病死したのではと思われます。
(実際のところは、政範の死と関係なく北条時政(及び平賀朝雅)と畠山重忠・重保親子の対立となった事に時政が武蔵を取り込むべく厄介な畠山を滅ぼそうと画策しただけなんだろうと思います)
 話は戻り、千世の下向に伴っていた朝雅はりくに面会しますが、政範を毒殺したのは畠山重保であると嘘を付いていました(毒殺に関与している事を畠山重保に指摘されているため罪をなすりつけようとした形となっていましたが、実際この時は単に朝雅と重保が京で口論したことを告げ口しただけで、りくと時政はこの口論を無理矢理畠山に翻意があるとこじつけたのですが、この決裂についてうまい具合に創作と事実を組み合わせた形となっており、改めて凄い脚本だなとこの時驚いたのでした)
 この讒言によってりくは畠山許さじとなり、時政に攻め滅ぼすよう焚きつけるのでした。時政にとっては畠山は娘婿になるわけですし、そこまで乗り気ではありませんでしたが、結局りくに唆されその気になってしまうのでした

畠山の矜持

重忠はさすが武士の鑑と言われるだけあり、北条が一戦交えるというのなら戦うという姿勢を崩さず、所領にある館に戻り戦の準備を始めました。
 既に前回から惣検校職を取り上げるなどの話などで不穏な空気が漂っていたんですが、政範の死をもって北条と畠山の間は完全に険悪な状況となっていました

時政の人柄

 この鎌倉殿の13人の中における北条時政という人物について、今回りくを慰める場面でもある通りに本来は人の良い性格なんですが、りくを愛する(もしくは信頼する)があまり、結局そこを付け込まれてしまっているという流れが一貫しているのと、一度腹に決めたら絶対覆さないという性格も当初から変わっておらず、脚本についてもこの時政の性格をベースで構築しているため、逆にりくの悪妻っぷりが際立って何倍にも面白さが増しているような気がします。
 これは別に政子の性格についても、実像とは少し違う解釈で描かれていると思っていますので、これについてもまた別途どこかで書いてみたいと思います。

歩き巫女の占い

 泰時は前回の最後に見たのえの本性について義時に知らせるべきかと心ここにあらずで、その様子を見ていた実朝は泰時を誘いだし和田義盛邸に赴いたのでした。義盛は実朝が悩んでいるようだと見て、最近占いがよく当たると噂の歩き巫女の天幕に連れて行きました。
 ここで登場した歩き巫女がどこかで見たような老女だったんですが、実は大竹しのぶさんが演じていると知り、特に何の告知も無いままいきなりの登場されたので非常にビックリしました。創作の人物かつ恐らく今回だけの出演ということでの告知なしだったのかもしれないですが、物語も後半に差し掛かってきていますし、他の俳優さんなどのサプライズ出演も結構あるかもしれないですね(三谷さん作品でよく出演されている俳優さんなどありそうな気がします)
 そういえば、実朝は歩き巫女から雪の日は出歩くなと指摘されていましたが、これは実朝が将来関わる大きな事件についての事と思われるのですが、いつか実朝がここでの事を思い出す事があるのでしょうか…(ここから10数年も先の話なので実朝はすっかり忘れるかもしれませんね)

鎌倉殿不在のドタバタ

 時政はりくに唆され畠山討伐の文書に花押を書かせるべく御所を訪れたという場面がありました。しかし、この頃の実朝は時政邸に囲われていたため、花押を貰う事など時政の思うがままだったのではないかと思われるんですが、それでは物語の展開上面白くならないので、あえて囲っていない事にしたのではないかと思っています。
 ただ、もう少し後に実朝の所在を巡ってある事件が起こるはずなので、もしかしたらこの後りく&時政が暴走して実朝を囲い込もうとする場面など発生するかもしれないですね(ここらへんの展開についても今後気になるところです)
 結局、時政は乳母の実衣から疲れて休んでいると突っぱねられ、この時点では引き下がりました。しかし、この時まだ外出していた実朝は御所には戻ってきておらず、次第に大事になってしまい御所内では鎌倉殿の捜索で人がごった返し、ついに時政にも知られる事になってしまいました。
 最終的に八田知家が実朝を見つけ御所まで戻ってきましたが、その事を知った時政が実朝に忍び寄って文書の内容を見せずに花押を書かせる事に成功してしまうのでした

重忠の忠告

 御所でドタバタしている間、義時の姿が見受けられなかったのですが、武蔵の館に戻っていた重忠に一先ず戦が回避された事を(しかしこの時既に時政がりくに唆され畠山を討ち取る証文を入手していましたが…)報告ついでに盃を交わしていました。
 会話の最後で重忠が、「鎌倉の為を思うなら戦う相手は…」と問いかけますが、義時はその名前を口に出す事が憚れるかのように「それ以上は」
 更に重忠は念を押すかのように「あなたは分かっている」と問いますが、義時は再度「それ以上は」と語るのみでした
 この戦う相手と言うのは誰のことか…はあえて書く必要も無いと思いますが義時としてはいずれ苦渋の決断をする時が近づいていることを重忠の忠告?によって感じたのかもしれません…そういう意味も含めた上で「苦い盃」というサブタイトルの意味がとても深いものだと言うことに気付かされたのでした