鎌倉殿の13人 第43回「資格と死角」

はじめに

 政子の決断によって義時包囲網が出来た事によって、いったんは御家人間の争いの無い平和な鎌倉に変わっていくかと思った矢先、公暁が鎌倉に戻ってきた事によって、再び暗雲が漂い始めて来ました…

公暁の野心

 公暁は帰参するなり、自分は次の鎌倉殿となる気満々の発言をしていました(以前から乳母夫である三浦義村が焚き付けていたようです)
 しかし、政子からは鶴岡八幡宮別当となるよう告げられ、実朝からは次の鎌倉殿は上皇にお願いし養子を貰うつもりだと告げられ、自分は何のために京から呼び戻されたのかと落胆するのでした。

 確かに幼い頃に実朝の猶子となった時点では公暁も何かあった時の将軍候補と見做されていた可能性はありますが、恐らく政子から出家して京行きを命じられた時点で、後を継がせないつもりだったんだろうと思っています。
 実際の公暁は鎌倉に呼び戻されるまでの6年間境遇を悲観したり恨みを募らせつつ、鬱屈とした日々を過ごしていたのかもしれません。

 ドラマでは公暁に対して義村が助言をして、鎌倉殿になることを諦めぬよう後押ししていました。弟の胤義には(公暁を鎌倉殿にさせることが)三浦がのし上がる最後のチャンスだと話してはいましたが、公暁本人をその気にさせる程度の焚き付けならまだしも、それ以上はかなりリスクが高すぎるのではと思っています(義村の考えについては、下記でも書きたいと思います)

源仲章は西側のスパイだったのか

 今回は源仲章の悪どさが印象強く、義時以上に悪目立ちしていました(一応後鳥羽上皇というボスはいますが、直接義時に対峙する悪役が現れた事によって義時への嫌悪感が薄らいだ形となり、展開が面白くなったような気がします)

 それにしても、仲章はこんなに悪どい人物だったのでしょうか。
 仲章は本来後鳥羽上皇の近習として仕えていましたが、いつの間にか実朝が鎌倉殿を継いだ直後に教育係として鎌倉にやってきました(後鳥羽上皇の差し金でスパイとして送り込まれた可能性もあり)。しかし、京と鎌倉を往復している中で実朝に気に入られ、最終的には義時に匹敵する程までに出世を遂げました
(京では学者として目立つ存在では無かったものの、博学だったために実朝から大きな信頼を得ており、上皇に敬うような教育を施しやすかったのかもしれません。また、上洛の際に上皇へ鎌倉の様子を伝えていたようなので、実際は二重スパイだったのかもしれません)

 以前、仲章は京にて全成の息子である頼全を処刑した事がありますが、これは鎌倉からの指示に拠るものだったので仕方なく実行していました。しかし、ドラマの中では北条政範の死に関わっていたり、泉親衡の乱では自ら親衡に扮して暗躍していたりとほぼ上皇側の指示によるスパイ活動を行っており、義時に対しては暗に隠居を勧めたりその後には自分が執権になろうかと軽口を叩くなど傲慢な面も覗かせ、義時から見れば鎌倉に害をなす悪人にしか見えなかったことでしょう。
 恐らく実際の仲章は悪人と言うよりは成り上がりのお調子者に見えて、坂東の御家人からはあまり好かれていなかったのかもしれません。
 いずれにしても、義時からすれば自分と肩を並ぶ存在が居るわけですから苦々しく思っていたことには違いないと思います(更にドラマでは義時の妻であるのえに近づく場面などもあって、次回への何らかの伏線に繋がるのか、気になるところです)

政子とトキューサの駆け引き

 上皇からの返事にて養子の承諾は貰いましたが、詳細を詰めるため交渉しに行く事となり最終的に政子が高野山参りのついでという形で京に赴く事になりました(ドラマでは実朝自ら養子斡旋を主導し、政子は案を献策した形ですが、実際は実朝が病弱で子供が居ない事に政子が憂いており、実朝もある了承する形で養子の話が進んだのではないかと思います)

 政子と卿二位(藤原)兼子の会談については恐らくドラマのような腹の探り合いでの進行だったのかもしれません。結果的には兼子の推挙で政子は従三位の官位を贈られ、更には自身が養育していた頼仁親王を次期将軍に推薦するまでに至ったので、二人は相当に意気投合したものと思われます。

 その頃、政子に随行した時房は後鳥羽上皇と蹴鞠をして、気に入られるという場面がありましたが、実際上皇に気に入られたのは事実なようで後に京で活躍するきっかけにもなっていますので、再度上皇がトキューサ呼びする場面が出てくる事もありえそうです。

 そういえば、政子が実朝の前で「従三位」ポーズをしていた場面、どこかで似たような場面があったような気がしたんですが、頼朝が征夷大将軍を拝領した時に「せいいたいしょうぐーん!」と呼んで喜んでいた場面のオマージュみたいな感じなんでしょうか…今回兼子からも思っていたイメージと違ったような言葉を貰っていましたが、三谷さんも出来る限りこれまでの政子像を払拭させるべく意図的にコミカルな場面も組み込んでいるのだと思います。

義村は義時への裏切りを決意したのか

 養子を迎える事がほぼ確定となったことで、公暁が鎌倉殿の後継者となる目は無くなりました。この場面、義村が頼家の死の原因は北条にあり、その北条が実朝を鎌倉殿を継がせたのだと打ち明けていました(公暁に問い詰められる形での告白でしたが、どう見ても義村が誘導させるようにしていましたね)

 実際、義村は裏で公暁を焚き付けていたのかどうかについては、記録など残るはずもない(仮にあったとしても義村の事ですから証拠など残さないでしょうし)のですが、この後の公暁の行動を考えると全く接触していなかったとは言えないと思っています(このあたりを深掘りすると今後の結末に絡んでしまうので、次回以降にまた書きたいと思います)
 前半にも少し書いていますが、義村と胤義との会話の中でのし上がる最後の機会と言った手前、仮に公暁の復讐が成功したところで、その後に尼御台たる政子と対峙することになるわけですから、流石の義村もそんな危ない橋を渡らないでしょうし、もしかすると2重3重に裏を書いている可能性も考えられそうです。

 結果的に義村の告白により子供の頃の比企尼の言葉を思い出し、北条(及び実朝)への恨みを募らせる公暁でしたが、今回色々撒かれた伏線によって果たして自分が知っている今後の展開について、最終的には歴史通りに落ち着くのかもしれませんが、経過について予想を大きく覆す内容になる可能性も大いにありそうな予感がします(予告を見ても少し謎な写真もありましたし…)