鎌倉殿の13人 第46回「将軍になった女」

はじめに

 実朝が暗殺されてしまった事により、京側は親王将軍を送ることをいったん見送りとしてしまったために、鎌倉では将軍不在となる状況が長く続いていました。義時は京側から親王将軍を断らせた上で別の将軍を立てさせるべく思案を重ねていましたが、この混乱に乗じてまた新たな火種が起きようとしていました。

阿野時元の乱について

 実衣は今が好機と考え、息子の阿野時元を新たな鎌倉殿にさせるよう画策しましたが、義村を仲間にするべく計画を話してしまった事であっという間に義時の知る所となり、所領に戻り戦の準備をしていた時元は義時が送った兵に囲まれ自害しました。
 その後、実衣に対し時元の挙兵に関わっていないか詰問を行うこととなり、泰時や時房も何とか無罪となるようフォローしましたが、実衣が時元に送った書状が発見されたこともあり、罪を認めてしまいました。
 義時は鎌倉を脅かそうとするなら例え自分の妹だろうが容赦はしない(友と思っていた義村ですら実朝暗殺にかこつけ自分を葬ろうとしていた事もあり誰も信用していない、もしくは権力を奪われる事にかなり怯えていると思われます)と強硬に突っぱね直ぐにでも処断されそうだったのですが、結局しばらくの間閉じ込められる事となりました。
 政子は実衣の元を訪れ何とか救うことが出来ないかと思案しますが、このままでは刑が執行されるのも時間の問題でした。(しかし、義時も厳罰とするまで言っておきながら処断は引き延ばされているところから、心の何処かで躊躇はしていたのかもしれません)

 阿野時元の乱については諸説ありますが、実朝が亡くなった後に残っていた源氏の血を引く男子が次々と粛清されたようで、時元に関してもこれら粛清の一環だったのではないかという説もあります。
 なお、実衣(阿波局)については比企の変以降亡くなるまで記載がないため、上記のように謀った場面などは全て創作となっています。記述も無いので当時どのような心境だったのか想像とはなりますが、実の息子が兄の指示によって粛清されてしまったわけですから、相当悲しんだのではと思っています。

義時と後鳥羽上皇の対立

 お互い考えていた事は一緒だったのかは定かではありませんが、実朝死後も鎌倉側は親王将軍を送るよう京に要請し、京側はそれを拒み続けた上で新たな条件を付けてきました(亀菊の所領における地頭の廃止を要求した件)
 ドラマの中で、後鳥羽上皇は結構早い段階(実朝が鎌倉殿を継いだあたり)から明確に義時に対して嫌悪感を抱いている感じでしたが、実朝が健在であった当初は北条の存在は知っていたとしても田舎の下級武士ぐらいの認識しか無かったと思われます。しかし、実朝が暗殺された後にしゃしゃり出てくる義時の存在を疎ましく思い、更に親王将軍を巡るやり取りなどを重ねる内に、徐々に嫌悪していったのではないかと想像しています。

新しい鎌倉殿のゆくえ

 両者相譲れない中、義時は時房に兵千騎を与えて京へ送り武力をちらつかせて交渉させようとします(ドラマでは親王将軍を京側から拒否させるような形に仕向けていましたが、実際は親王将軍を迎え入れたいと要請していました)
 後鳥羽上皇は蹴菊で決着つけようと時房に持ち掛けました。対決はやや時房優勢の状況でしたが、藤原兼子が上皇の態勢不利と見るや割って入り、無理矢理引き分けにしてしまいました(時房が勝ってしまった場合、上皇が怒って更に拗れてしまう可能性もあるため、兼子が配慮したと考えて良いかもしれません)
 結局は妥協案として親王将軍はダメだが、摂関家の中から一人選んで鎌倉殿に送り出しても良い事となりました(説明のために慈円僧正が鎌倉に赴いていましたが、慈円が鎌倉に訪れたとの記録は無く、九条家の出身である慈円が三寅が新将軍に選ばれる事に期待を寄せていたと残していた所に着目し、エピソードを追加したと思います)

尼将軍誕生

 新しい鎌倉殿が鎌倉に到着したものの、三寅はまだ2歳程度であり、もちろん政など出来るわけがありませんでした。義時は三寅が成人するまで執権である自分が代理になろうと考えていましたが、それを阻んだのは政子でした。
 政子は実朝が亡くなった後に行われた施餓鬼の時に直接民と触れ合い、自分が民衆から慕われている事を知り、また実衣を何とか解放したいとの思いから自ら尼将軍になることを決意したのでした。
 これを受けて義時は猛反発するかと思いきや、逆に政子に対して自らが表に立つとは珍しいと言うくらいだったんですが、自分にはなんだか安心しているような感じにも受け取りました(何か最終回への流れに繋がる可能性もありそう?)
 自ら尼将軍となった政子は手始めに実衣を開放しました(もちろん義時は口出しなど出来ませんが、そもそも義時は実衣を直ぐに処刑していなかったわけで、心の中では助かる事を望んでいたのかもしれません)

 最後のボンタラクーソワカーを二人で泣きながら唱えていた場面ですが、二人しかいなくなったと政子が言ったのは、子供を全員亡くしたのはこの姉妹だけだからという意味合いだったのでしょうか?ここら辺の表現についてはもう少し確認してみたいと思います。

 さて、鎌倉殿の13人もあと残り2回となったわけですが、あの有名な政子の演説が次回の見せ場だとするならば、後鳥羽上皇との争いは最終回までもつれ込む可能性もありそうですね…最終回は1時間の放送となっていますが、その後に義時の最後にまつわる話が描かれる事になるのかどうか、次回も注目していきたいと思います