真夜中の

夜更すぎにまた雨が降り始めた頃、やっとシャワーを浴びることにして、過去と今を並べながらこれからのことをかんがえていた。胸につっかえていたものがほろほろと解けていくようで、気がついたらフル回転で思考していた。まだだ、まだ止まってはいけない。全速力で夜を駆ける。


わたしが「言葉」を描くとき、それがどんなときだったか、どうしてだったか。

それは、伝えたかったからだ。わらっちゃうくらいシンプルなものだった、考えるまでもなく。あとそうでないときは、ただただその「出逢い」に感激して、衝動で突き動かされたとき。

さあそして何が伝えたかったのかというと、それはこのせかいと すきなひとのうつくしさだ。それからこのせかいの不思議、哀しみ、やさしさ、愛。あと、わたしのこと。

どうしたって言い当てることの出来ないそういったものたちを、それでも誰かに届くように、そうっと拾いあげて みがきあげて 形容して。ああ、言葉を編んでゆくみたいだ。そう、言葉を編むんだ。祈りも混ぜて。

それがそのときのわたしの術だった。絵を描くでもなく、音楽にするでもなく、この言葉で。届くように 

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こうしてまた言葉を手にしたのは、それだけではなくて、わたしはあろうことか今になって、わたしを知りたいと思っているのだと。もういい大人なのに今更って、しょうがないなってわらってほしい。でもそういうことだとおもう。そう思ったんだよ。


すみませんが、この旅に付き合っていただけますと幸いです。長い旅になりそうですが、きっと退屈はさせませんから。コーヒーでも飲みながら さ


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