0618.1050

書きたいことが山ほどあった1週間。どのことを話そうか今かんがえてる。

まずは生まれて初めて蛍を見たこと。蛍が見れるところがあるらしいということを夫がお客さんから聞いたらしく、ドライブがてら行ってきたのだった。儚げな光がふわふわと宙を舞っている様はとても幻想的でうつくしかった。同時にたくさんの疑問符、「生きてるってすげー!」などの小学生じみた感想。帰りに夫がサンルーフ越しに月を見つけて、なんか詩的なことを言うから、このひとも感動しているんだな、可愛いなあとおもった。行って良かった。

あとは、むかしのじぶんの言葉を読み返したこと。このあとそのうちのすこしをここに上げようとおもう。


それから、人生で一番、この上なくめちゃめちゃに人に褒められたこと。初対面の人間で且つお酒を嗜んでいたので軽く流して良いものだとおもうけど、ほんとうにほんとうにすっごく褒められてむしろ称賛のレベルだったのでは?途中で泣きそうになってしまった。ざっくり言うと、わたしの「妻」としての姿勢が良いのだということだ。その方はひとまわり上の女性で自分は病気をしていると言った。何も言えなかった。でも、よく知っている病気だった。幼い頃わたしの兄がその病気で亡くなっているからだ。だからこそ言えなかったし、初対面の人間にかんたんに兄のことを話したくない、おおよそ決まって同情されるからだ。この哀しみは、ぜったいに誰にも渡したくないし判るはずもないのだけど、大切なものだから。

今書いていておもったけど、人は哀しみさえ愛してしまうのか。愛ってなんなんだ。

死という重い話は、受け取る側にもたいへんなエネルギーを消費させてしまう。相手のことを考えると、話さないほうがいいのかもしれない。でも、話すのはきっとやっぱり「知ってほしいから」なんだね。こんなひとだった、って。このせかいに存在していたんだよってこと。うーん。いつもおもうけど、「今無い」もののことを話すとき、決まって過去形になってしまうのが悔しい。わたしの中にはまだ在るのに、言葉の性質上ひとに話すときは過去形にする以外にない。

でも、わたし兄のことをほんのひと握りしか覚えていない。それがたまらなく哀しい。他に覚えていることと言えば、病院にいた兄に手紙を書いたのに恥ずかしくて渡せなくて、団地の下の水路に捨てたこと、兄が亡くなって長いことお墓が無かったとき、わたしの中ではその水路が兄のお墓であった。百合の花のにおいが嫌いで、涙が出そうになったり、無意識に息を止めてしまうこと(後にお葬式のことを思い出すからだと悟った)、なぜ生まれて死ぬのかとか、神様はいるのかなんて、その頃に飽きるくらい考えて分からなくてやめた。でも神様はいないとおもった。だって、いたらぜったいに兄は死ななかった。

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ちょっと長くなったからこの話はこの辺でやめます。読んでくれたあなた、ありがとう。

( 話さないほうがいいかもと言っているのに、ここに記すことはご容赦ください )


この記事を書くのに1時間もかかってしまった。出かけよう。


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