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漫才師という特異な生き物

下書き供養!この下書きは、NONSTYLEの東京単独に行って心がほくほくした次の日に和牛の解散のニュースを見て作った。

個人的に、和牛の解散のニュースで一番肝が冷えたのはNONSTYLEのファンじゃないかと思っている。NONSTYLEにも訪れたかもしれない未来だったから。

わたしは中学生のときからNON STYLEのファンで、今年で15年になる。毎年できる限り単独ライブに行って、変化する2人の関係性を見てきた。

NONSETYLEも、2013年頃から漫才に対する熱量の違いが出始めて、単独ツアーを回る箇所が少なくなったり、「もっとまじめに漫才しろ」とテレビで喧嘩したり。ああ、大丈夫かなと思っていた矢先に、2017年の井上さんの事故。おそらくあの事件がなかったら、解散だってあり得たんじゃないかと思う。

漫才って本当にすごい芸だと思う。ネタを作って目指すクオリティを合わせて練習して、サンパチマイクを挟んで練習したやりとりをする。そして人を笑わせる。複数人いないと成り立たない、人を笑わせるために存在している話芸。そもそも何かを作る時にどんなクオリティを目指すのか、何を目的にやるのか、常に相手と共通の認識を持ち続けるってすごく大変なことだと思う。

そして、M-1というなんとも残酷な大会がある。1年でこの漫才師が1番だと決められる漫才の大会。1番だとこれまでの努力が認めてもらえて、売れるきっかけにもなる。芸歴15年まではこの大会を目指して、がんばろうという目的を作ることができる。15年を過ぎたら、なにを目的に漫才を頑張ればいいのかわからない状態になったって仕方がないのかもしれない。他の仕事があればなおさら。そして漫才に対する意識がズレたら、溝はどんどん大きくなるだろう。

和牛の解散の原因としてあげられる劇場への遅刻。おそらく遅刻だけの問題じゃない。漫才を通して同じ方向を向いてきたのにズレはじめたこと、そのズレが遅刻という具体的な行動として、表に出てきてしまったんだろう。

和牛の解散という選択は、和牛ファンにとってはものすごく辛いだろうなあと想像してしまう。もう2人の漫才が見れないなんて、わたしはNON STYLEに置き換えて考えたら目の前が真っ暗になる。どうか、和牛ファンが心を守って日常を送れますように。


ドラマ用サブスク代にします!