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親になった1ヶ月間

不妊治療を始めたのは2022年の4月だった。タイミング法を1回やって、すぐ転職活動をはじめてしまったので、中断。1年後の2023年にフリーライターに転身し、また不妊治療をはじめた。

ずっと生理不順だった人生。これまでも何回か妊娠検査薬をやったことがある。妊娠を望んでいた時も望んでいなかった時も真っ白で、本当に2本線なんて出るのか?と思っていた。

不妊治療をして2回目のタイミング法での妊娠検査日8月20日。本当に2本線って出るんだとびっくりして。なんか夫に見せるのが、恥ずかしくておずおずと検査結果を見せた。ちょっと嬉しそうな声で「すごいじゃん」って言ってくれた。

2人でたまごクラブを読んで、妊婦に必要な栄養素を調べたり、買うものを調べたり。浮かれてアカチャンホンポにも行った。不安はたくさんあるけど、どんな生活になるのか、お互いにどんな親になるのか楽しみだった。想像できるようでできない未来が怖いけど、キラキラして見える。

病院では無事に胎嚢を確認して、ちっちゃな黒い丸とぴこぴこ動く心臓を2回も確認できた。夫も親も街ですれ違う知らない人もみんなこのちっちゃな黒い丸だったのかと思うと、世界がすごく愛しくなる。

この黒い丸がわたし達の赤ちゃん。どんな姿で生まれてきてくれるのかな。性別なんてどっちでもいいから健康に生まれてくれたらいいな。それだけが願いだった。

分娩予定の病院でのエコー検査。先生はずっと無言だった。ぴこぴこ動いてたはずの心臓が見えない。夫にはじめて心拍を見せられると思ったのに。この検査の前に一段階つわりが酷くなっていたから、元気に育っていると思い込んでいた。お腹も腰も痛くない、出血もない。全然信じられなかった。

胎嚢の上の方にいたから見にくかったのかな。流産って言われたけど次に見たら心拍確認できたって人もいる。ずっと体験談を読んで、2回も確認できたのにってたまに泣いて。夫はわたしが不安になると、ずっと大丈夫だよって言い続けてくれた。

次の検診でもう一度確認する予定で、それまでは生きた心地がしなかった。変わらずつわりで気持ち悪いし、腹痛も腰痛も出血もなかった。そんなにお腹の中の居心地がいいのかななんて考えると涙腺が緩む。もし辛かったらお空に戻ってもいいんだよ、またおいでねと話しかけながらお腹撫でる日々が続いた。

2回目の健診日。12mmに成長していた赤ちゃんの心拍はやっぱり止まっていた。3mmだった子が12mmにまで成長してくれた。頑張って心臓を動かして生きてるよって教えてくれた。わたしでもお母さんになれるんだって教えに来てくれたんだと思う。

大きさ的に自然排出を待つと出血が多くなる可能性があるとのことで、次の日に手術が決まった。妊娠がわかった日からちょうど1ヶ月。心臓が止まってしまったことは理解できても、お腹からいなくなってしまうことが寂しくて、悲しくて手術前はメソメソ泣いて、ティッシュを山盛りにした。手術前も全然お腹痛くなくて出血もなくて、なんて親孝行な子なんだろうとまた泣いた。

手術中は静脈麻酔で眠っていて全く記憶がないが手術を外で待っていた夫曰く、唸ったり痛いとつぶやいたりしていたらしい。それを聞いてる方が辛かっただろうな。

不妊治療をしながらも、もし子どもができなかったらそれはそれでいい。子どもがいない人生を楽しく生きていこうと思っていた。でもやはり一度来てくれたら、また会いたいと思ってしまう。そんな気持ちから無理をしてしまいそうになる。

つわりで気持ち悪くて、身なりを整える余裕もなく、仕事もままならなかった。それでもお腹で赤ちゃんを育てているからと思っていたけど、それすらできなかったと落ち込んで悲しくて。メソメソしてしまう。

夫が手術前後でメソメソするわたしを支えてくれて、すごく救われた。言われたその日に2人で布団にゴロゴロしながら一緒に泣いたことも、「わたしが元気ならそれでいい」、「また来てくれるよ」って優しい言葉をかけてくれたことも、診察も手術も付き添って、仕事も在宅にしてなるべくそばにいてくれたことも、死ぬまで忘れないと思う。一緒にいてくれてありがとう。

また赤ちゃんに会えるかな。またここに来たいと思ってもらえるように生きよう。

ドラマ用サブスク代にします!