ネットフリックスの「Beef」と、アメリカでアジア系を10年強やってる私

アジア系アメリカ人の割合は7. 4%だそうだ。マイノリティの人口が比較的都市部の方に集中しやすいと想定すると、田舎でアジア系が珍しいということは十分あり得る。去年引っ越して来たサウスキャロライナの小さな我が街のアジア系の割合は0.71%。私と子ども達はこの街のユニコーンである。時々長女は学校でアジア系のステレオタイプに基づいたジョークを言われたことを帰って来て話すことがあるけど、本人は面倒臭いのかあんまり気にしてないようだ。(彼女の言葉を額面通りに取るのであればだけれど。)

先日ネットフリックスの「Beef」を観終わった。簡単に要約すると、アリウォン演じるエイミーとステーブンユァン演じるダニーのえげつない喧嘩の話なんだけれど、(ほぼ)アジア系キャストで、アジア系アメリカ人を描くこのテレビシリーズ、エイミーは中国/ベトナム系アメリカ人2世、ダニーは韓国系アメリカ人2世で、日本人移民一世の私とは若干バックグラウンドが違うものの、共感する箇所が多くアジア系のアイデンティティーとか、ステレオタイプ(アジア系がアメリカ社会から期待されていること)などがかなり強烈に刺さってしまい、途中休憩を入れながら観終えた。

アメリカに住みはじめて間もないときに、周りのアメリカ人に「You are so selfless and the most laid back person I have ever met.  (カニコは今まで会った人の中で一番落ち着いていて、自分のことより人のことを優先できる優しい人だよ。)」的なお世辞を言われることが度々あり、気を良くしたものだ。しかし少し経つと気づく。私は落ち着いてる訳でもなければ、自分を犠牲にして人のこと優先できるブッダでもなんでもない。直接的に物を言わない、出る杭にならない、自分の感情に固執しないように育てられただけだ。あなたの「Zen」なアジア系の家族でもなければ、ブッダな隣人でもない。次第にそういうステレオタイプをカジュアルに押し付けられる状況と、そのステレオタイプになれないダメな自分(何故ならlaid backでselflessなステレオタイプはどこも悪くない。寧ろなれるものなら今すぐなりたい。)にフラストレーションを覚える。愚痴が出そうになる。でもアメリカの社会で愚痴は日本ほど許容されていない。言いたいことがあれば本人に直接言うが善。となるとカウンセリング。「Beef」でダニーが言うように「西洋のカウンセリングはアジア系に効かない。」、カウンセリングを試したが私にはうまく行かなかった。どうやってアメリカに住むアジア系の人たちはこのフラストレーションとやりあっているのだろう。そのフラストレーションの行き先、怒りを「Beef」は丁寧に描いている。

先ほどツイッターを開いたら若い(と思われる)日本人の女性のバズツイートをTLで目にした。「(産まれたばかりの我が子を見て)自分のことはもういいや。これからはあなたを守る。」という主旨のツイートなんだけど(このツイートがバズってるのは、無償の母の愛に純粋に共感する層と、子供の顔を出してのツイートだったので文章と矛盾してるだろという批判する層がいるからだと思うんだけど、後者は置いといて)、自分の子供のためであっても、子供は大事、自分も大事でもいいんだよと真っ先に思った。自己犠牲は個々の正義であって、社会が押し付け合うようになってはしんどい。子供も自分も大事にすることは両立するのではないかなあと思いながら見た。

話は前に戻るんだけれど、アメリカ人のアジア系(日本人の私に対する)selflessでlaid-back なイメージはネガティブなものではない。「穏やかなアジア系」というステレオタイプを押し付けられて、マジョリティのアメリカ人にとって扱いやすい気質になるべきではない、ステレオタイプは排除するべきだ的な意見も当然あるだろうけど(実際言われることにフラストレーションを感じることは前述した)、個人的に自分の人生の目標は「優しく良い人」になることなので、selflessでlaid-backになんか絶対ならないもんねなどとは、一ミリも思わない。繰り返すようだけど寧ろなりたい。でも完璧になりきれない自分を受け入れること、自分を少し許すこと、自分に対しても「良い人」であっても良いと思うこと、これって大事なのではと最近感じている。人生長い。私の「良い人」への道のりは続く。






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