死ぬかと思った2020 後編

前編はこちら↓

2020年9月

借金を返済すべく、塾と派遣のアルバイトと並行して行ない、殆ど休みなく1ヶ月働き続けたのですが、フリーターの給料などスーツを着て働いている同世代と比べれば全く取るに足らず、そこから生活費や雑費、家賃や携帯代を差し引いてしまえば自分の手元に残る金など雀の涙で、さらにそこから借金を返していくとなると言わずもがな経済面は苦しくなるばかりだったのですが、そのような苦言を呈している暇もなければ、そもそもこれは完全に自分が招いてしまった事態なので、自分のことは劣後にして借金を返して回っていました。

そういう訳で自分なりに1ヶ月間尽力していた訳ですが、結果的に完済するまでには遠く及ばず、また、自分のことを後回しにし過ぎた為に家賃、携帯、水道の支払いが期限内に出来ず、後日家賃はなんとか払えたものの、携帯と水道の利用を停止させられてしまい、それらの復旧手続きを行なうまでの間、携帯はコンビニ等のフリーワイファイを利用し、トイレは出先で済ませ、風呂は格安の銭湯に行くというなんとも不便な生活を送らざるを得ませんでした。また、食事の方もろくに摂ることが出来ず、栄養失調が原因かこれまでは全く無かった目眩や立ちくらみなどの症状も出始めていたのですが、私は健康保険証を紛失したまま1年以上再発行をしていない為(諸事情で再発行が出来ない)、万が一病院にかかることがあれば医療費を満額取られてしまう訳なので、何としても病気にはなるまいと必死に生きていた覚えがあります。

2020年10月

10月も先月と似たような日々を送っていたのですが、不規則過ぎる生活を繰り返して迎えたとある朝、あろうことか私は派遣のアルバイトを寝坊ですっぽかしてしまいました。定刻の数時間後に目が覚め、焦って携帯を見てみると、契約先からの一通のメールが届いており、内容は事実上のクビを告げられるものでした。

その時は「たかが一回の寝坊でクビはやり過ぎだろ」と思わなくもなかったですが、よくよく考えてみれば派遣のアルバイトなど人手は五万と居る訳で、私一人分の人手がなくなったところで向こうとしては何ら痛手でもなく、寧ろ寝坊して迷惑をかけてしまう人材など淘汰されるべき存在であるのは当然のことでした。しかしいっときの感情で私は謝罪の連絡などを入れる気が起きず、結果的に無断欠勤、所謂"飛ぶ"という最悪の形で、派遣会社との契約を打ち切るのでした。

その後新たな派遣会社に登録してアルバイトを再開したのですが、とある日のアルバイト終わり、アルバイト先の渋谷から帰る為の交通費の400円すら財布に無いことに気が付きました。それは渋谷から自宅までの20キロを徒歩で帰るしかないということを意味しており、当然気軽に交通費を借りられるような人もいない為、私は絶望し、ハチ公前のベンチに座って途方に暮れていました。只今の時間は23時、自宅までは徒歩で5時間はかかる道のりでした。選択肢として、覚悟を決めて徒歩で帰るか、または警察に事情を話してお金を借りるか、はたまたyoutuberのふりでもして渋谷駅前の通行人に話を聞いてもらうかなど色々考えましたが、私は人の善意を踏みにじるような行為は絶対にしたくないので、朝までどこかで時間を潰して、日が登ってから徒歩で帰るということにしました。

ある程度覚悟が決まった所で、とりあえず渋谷で朝まで過ごせそうな場所を探しつつ、最後の望みを託す気持ちで「渋谷で帰れなくなりました。助けてください。」とツイッターで呼びかけたところ、そこで奇跡が起きました。なんと数分後にフォロワーである友人から「今下北いるけど向かおうか?」という旨のリプライが届いたのです。藁をもすがる思いで事情を話すと、友人は下北沢で卒論を進めており、それが丁度切りがついて暇になったところだから渋谷くらいなら行くことが出来るとのことでした。この時、私は本当に友人が神様に感じられました。

友人と渋谷駅で邂逅すると、友人は「返すのはいつでもいいから、せっかくだし飲みに行こう」と私を誘って来たので、私は無償の善意を素直に受け止めて居酒屋へ飲みに行きました。ほんの数十分前まで家に帰れず途方にくれていた人間が、連絡ひとつで酒を飲み、飯を食い、家に帰ることまで出来るのですから、人生何が起こるか本当に分かりません。本当に奇跡のような経験でした。この時の友人の存在はまさに命の恩人でした。

2020年11月

まともに派遣のアルバイトも出来ないまま約1ヶ月程が過ぎ、効率良く稼ぐことも出来ていないので借金の返済も滞り気味になっていたのですが、恩を受けた人に一刻も早く返したいという気持ちが昂りすぎてしまい、自分の最低限の生活費の中から借金を返済する行為に及んでしまいました。この行為により私の生活は完全に破綻してしまい、これまではなんとか支払えていた家賃の分も手元に残すことができませんでした。

月末が近づくと管理会社からの電話が毎日鳴り響き、多い時には1日10件以上にも及んでいました。それでも支払いをくすぶっていたある日、家に手紙が届きました。その手紙には大きく「退去勧告」という文字が印字されており、「これ以上の未納が続く場合訴訟及び財産差し押さえの手続きを開始致します。」とのことでした。水道や電気が止まってしまうのには慣れた私でも、流石に家が無くなってしまうとのには抵抗があり、何とかして家賃を支払えないかと頭をひねったものの、手持ちは無く、これ以上人に借りることもしたくはなく、消費者金融に頼るのも気が引けてしまい、その時はもう万事休すに思えました。

あらゆる手段を考えた結果、本当はこういうことは絶対にやってはならないのですが、一か八か、有り金のほとんどを競馬に賭ける他ありませんでした。大学入学以来、追い込まれた局面でもギャンブラー精神でしぶとく闘ってきた私にとって、家が無くなるか否かという人生の境地に立たされたこの瞬間を、私が唯一胸を張って自信を持てる"ギャンブル"という手段以外で切り抜ける方法は考えられませんでした。

運命のレースは11月29日の東京競馬場第12レースG1ジャパンカップ。名だたる競走馬が集う日本で最も大きいレースのひとつで、特に2020年はこれまででも類を見ない程のビッグネームが数多く出走するということで、例年にも増した盛り上がりを見せていました。

私が購入した馬券は1番人気アーモンドアイと2番人気コントレイルの馬連1点賭け1万円。普段から競馬に賭けている人にとって1万円など大した額ではありませんが、この時の私にとっての1万円は筆舌に尽くし難い程の大きな価値であったので、震えが止まりませんでした。何度も言いますが、ジャパンカップを外した瞬間に私は訴訟を起こされ、財産を差し押さえられることが確定するのですから。

そして午後3時40分、私の人生を賭けたジャパンカップが始まりました。あろうことか私はその時間でさえもアルバイトをしており、リアルタイムでレースを観戦することが出来ませんでした。アルバイトの休憩時間になり、震える手を動かしてスマホでレース結果を見ると、掲示板には「1着 アーモンドアイ 2着 コントレイル」の文字。私の馬券はめでたく、完璧に的中していました。

馬券の払い戻し金を受け取り、嬉々として家賃を支払い、その日は大好きなお店でラーメンを食べました。

2020年12月

先月分の家賃の支払いは済んだものの、依然として満足な生活費もないままに迎えた12月。これまでと同様に塾と派遣のアルバイトをしながら残りの借金を返済し、たまに麻雀を打ってはその勝った金でまた借金を返済しと、変わり映えはなくとも1日1日を何とか生き抜き、比較的穏やかに過ごしていたある日、もはや自分の臓器のひとつと言っても過言ではないスマホを落として壊してしまいました。

スマホは無くなってしまえば、友人との連絡はおろか生命線であるアルバイト先との連絡も取れない為、どうにかしなければと一思いにauショップへ駆け込みました。

「なんでもいいからすぐに携帯を使えるようにして欲しい」とあまりにも無茶な要望を店員さんに告げると、店員さんは色々な方法を提示してくれて、その中でも一番手っ取り早くスマホを手にする方法は"機種変更をしてしまうこと"でした。機種変更をするにあたっては当然初期費用と、月々の分割払いが強いられる訳でありますが、背に腹はかえられまいと迷わず機種変更をお願いし、スマホを壊してからおよそ1時間後には新品のiPhone12を私は手にしていました。担当していただいた店員さんにも「ここまで機種変更を即決するお客様も中々居ない」と苦笑いをされてしまいましたが、無茶な要望にも迅速に対応して下さった店員さんには感謝しかございません。

新しいスマホを手にしたのは良いものの、初期費用に1万3000円もかかってしまい、それを支払った結果翌日のアルバイトに行く為の交通費すらなくなってしまいました。アルバイト先は上野で、自宅からは30キロ程。歩いて向かうというのはあまりにも非現実的な話ですが、そうは言っても何とかしてアルバイトには行かなければならないので、こちらもかなり無茶な話ですが、レンタルサイクルを借りてアルバイトに向かうことにしました。

上野でのアルバイト開始時間は午前8時で、自宅から上野まで自転車で向かうとなると3時間くらいかかるらしいので、私は朝4時30分に家を出て、上野まで自転車を漕ぎ始めました。正直ここまでしてアルバイトに行ける自分の根性はバケモノだと思います。

まだ日も出てない頃に出発し、3時間程自転車を漕ぎ続けて午前7時40分頃に上野に到着したのですが、着いた頃にはもう疲労困憊で、これから夜までアルバイトをしなければならないと考えただけでぶっ倒れそうになりましたが、そこは持ち前の精神力で何とか持ち堪え、当然ご飯や飲み物を買うお金もない為飲まず食わず22時までアルバイトをし、さらにはそこからまたレンタルサイクルで自宅まで帰るというとんでもないハードスケジュールをこなし、結局家に着いたのは午前4時でした。24時間以上飲まず食わずで重労働をこなし、さらには往復60キロも自転車を漕いだ身体は限界を迎えており、帰宅して自宅のドアを開けるや否や気を失うような感覚で玄関に倒れ込み、そのまま眠ってしまいました。

起きたのは昼過ぎで、倒れ込んだ時と同様玄関で寝ていました。どこか打ったのか身体の節々が痛みましたが体調的には然程問題ないようで、最後の力を振り絞ってコンビニに行き、実に35時間ぶりの食事を摂りました。35時間振りに食べたツナマヨおにぎりは、どんな高級な寿司よりも間違いなく美味しく感じました。高級な寿司食べたことないですが。

月の後半はクリスマスにも目も暮れずアルバイトを繰り返し、12月は速やかに家賃を支払うことに成功しました。今年はコロナの影響もあり大晦日に実家に帰ることは出来ず、自宅の天井のシワを迷路に見立てる遊びをしていたらいつのまにか年を超えていましたが、本当に死ぬかと思った事が何度もあったこの2020年を生きて終える事が出来て良かったと思います。

2021年


壮絶な2020年を終え、なんとか身も心も無事に2021年を迎えられた訳ですが、今年はもう去年のような間抜けな所業を減らし、相変わらず就職する気はないものの、効率よくアルバイト等を行ない、お金に困らない自由気ままなフリーター生活を送れるよう努力しようと思う次第です。そして、私の今後のざっくりとしたひとつの目標として"引っ越し"というものがあります。今は国分寺に住んでおりますが、中央線沿いの荻窪、阿佐ヶ谷、高円寺あたりに住めれば最高です。その為今年はギャンブルで一発当てます。必ず当てます。見ていてください。

今年も一年よろしくお願い致します。


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