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宇宙の意思 岸根 卓郎先生 霊動の記録2

経絡思想は、宇宙のエネルギーと一如な霊的な純粋さを保つ理論だと思う、エネルギーが自我によって滞る、人間が大半である。クリシュナは神はどこにでもいる、人間は神の最大の現れで、ゆえにすべてを愛するべきだと言った、そこに根本がある。

孔子からニュアンスが違うが云と昔の先祖を、鬼神と生きると古代中国では言った、キリストなんか見ても、やつぱり死霊と生きている。(シナイ山での、変容。モーセとエリヤだったかな?うろ覚え。ああいった先祖と生きる、ほんとうに、涙なしに読めない。人間の謂われがあるよ)、ほんとうに立派な人は見ても、そうだ。鬼神と共に生きる。個人の運命を超越し滅した境地がある

人より、はるかに悲しみも多かった、だからこそ、これ以上、この世にあって何の希望もないことがわかった、

正のエントロピーは崩壊に向かうエネルギー。拡散である。その身にめぐってくる悪魔、(宇宙のこと)に魂の負のエネルギー、(ネオ・エントロピー)で対立する、それが、たとえば惑星や命の「正、負」の、交代する周期の中から宇宙へ旅立ってゆく星野鉄郎と999で、われらもまた、その宿命がある。

崩壊に向かう流れに抗いながらも、その中で成長して、星野鉄郎のような宇宙戦士、として大宇宙の星団より遥か彼方まで永遠に旅立ってゆく宿命を背負っている。
人間の憧憬はふるさとへ肉体が届かずとも、魂に成り果てようと到達できない謂われがあるのか、という理解だけど、私なんか特に、宇宙から来る、そのような圧力波が、われわれにそのように命じているのを、直感知で、会得していたのだと思う、科学的にはアンドロメダだと、証明されている。
金属の種族が描くわたしの、未来。科学的には自ずからが存在する、空間の歪み、重力によってなるべくしてなった、定めの星、光の花冠。そのような星と、銀河星団とさらなる、アンドロメダの衝突する、大圧力波こそ、負のエネルギーであり、その負の意思が、わたしのことばである、霊性文明こそ、わたしの、祈り。

この齢にして光あれよ、と、無想の境地で祈れるようになる、

あなたの生が、あなたの死の姿である。禅宗に近い、死生観。愛に生きるという、霊性文明が喫緊の課題なのは、生が悪魔に、売り渡された、文明によって萎むと必ず、固有の死が忘れられてゆく、そのことによってのみ、人間は、人間を失うのだ。

聖書をふつうに読んでると、だからこそ、この読み方はもなちゃんにしかできない、って勉強会で言われた。ふつうに読んでるって、すごく、革命になる時代なんだよ、って恩師のことばに泣く。霊性文明にむかって、もなちゃん、探求しますから。

勉強会で、2歳以下のベツレヘムのこどものためにロザリオする、これもまた星の定め、これが、わたしの生と死の表裏、霊的な体験、もっとも、かなしい、星の法。ああ、

悶える、感じ、けど祈りのような痙攣だ、

個人の霊魂を絶する、ことは、祖霊、という一門に転化すること、鬼神、(祖先のこと)、と生くるる、涙の一門の跡継ぎになること、(あなたが、人生で、衝突したほんとうの天体の定め)、一門という言い方は平家物語から、大家族は崩壊した、それは宿命だけど、霊的な聖家族として、特に日本文明は十二単の融合文明だから、宿命すべて、過去は、未来に生きていて。

冬は重ね着して粗末な部屋にいる方がいい、できるなら素足で冬道を歩くこと。どこに寒さを凌ぐ手段がありますかと思うかも知れない、けれど、一人ひとりが、列聖されるくらい、愛に根差した命、(宇宙の活動、本分)の、火が、血の通った祈りのような、文明、(霊的な肉体)、は、暖炉になる

単純な生物で構成もわかって、なお、活動の本分は、科学では語り得ない、活動、というとタオイズムのような、思想が研究したい。

人間は姉のいわながひめではなく、はなさくやひめを嫁にするのだけど、石のように永遠であるが、冷たい、無意味な人生を捨てて、限りある、儚い、美しい人生を祖霊が涙をしのび、選んできたのなら、私も宿命に殉ずる

私ほぼひとりで、受付か、精神科医としか、話さないが、孤我的な、感じはなく、たとえばドストエフスキーの罪と罰の登場人物と、宇宙論についていつも話している。時間を、共有し、霊的な一家として、祈り、祈られつつ、時間の密度を高め、星の法を探求する。という意味で、東洋的な、タイプ。

宇宙の波動こそふるさとの原淵であり、ユング曰くゴッドはこれからはいない、キリストが言った負の宇宙力、そのような愛が、沈黙の中で、感化し、それが、いかに宗教化することなく、我々は革命を持ち堪える、文明に近づくか、ちなみにヴェルサイユのばらが、偉大な敗北という意味で霊性的。

論点は、重要だけど、西洋キリスト教では、神は、したがって神の国は、自然を超越し、宇宙の崩落のうえに到来する、
私からしたら、それは神も八百万の霊も人間も同体である、(と、言っても、宇宙の意思を尊ぶ、立場)、一元的な宇宙波動が、キリストのことば、だと解釈する。そのような東洋の自然共生観が、キリスト教を重ね着してる、十二単の融合である、
西洋キリスト教では、したがってぼくは、信仰していない、敷衍すれば、東洋で西洋化する修道院や教会もまた、僕は信仰にあらざる、ことになる。

磐代の浜松が枝(え)を引き結び真幸(まさき)くあらばまた還り見む。ありまのみこが、謀反のかどで、捕えられ、きのくにの牟婁へ連れて行かれる、途次に、自らの運命を予知し、詠んだ歌

だから、往相還相だよ。ほんとうに、現世に戻ってくるんだよ、

天国など、宇宙エネルギーとの、隔絶など妄念である、という立場。それは、キリスト教の団体の教義であって、そもキリスト者は往相(アンドロメダ)、還相、(また現世に来たりつつあること)しかなかった、エ・エルホメネセスの大星団の圧力波に感化され、永遠に繋がろうとした魂の謂われ、であって。

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