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宇宙の意思 岸根 卓郎先生 霊動の記録3


・文学・芸術面からの死生観 ・生命の面からの死生観 ・科学と宗教と芸術の合意性

ありまのみこの、崇高な霊魂は、宇宙の混沌の中に今もあるの。

来年の桜一目見たくとも冬は淋しい 忘れじ光の言霊

岸根先生が、遍歴する、東西文明の代表的な死生観の辞典。宗教から、文芸、科学、(情報論や生物、医学、)さらには、そのような、時空間を超えて、宇宙の意思を逍遙する、博士の、勇気。専門書だけどね、みんなに読んでほしいな、お薬も、なくなちゃならない、あたしたちだけど、探求しよう。

現世と神への帰依を解決した点に新プラトン主義の退廃がある、その問いは大いなる矛盾として絶叫のように持ち堪える、偉大な敗北として革命がなくてはならない。国家権力が指示する思考や感性ではなく、一人一人の孤独な絶叫として、革命

5次元の暗黒流体からなる、生命の樹の根っこの連帯、

宇宙エネルギーとの隔絶はない、という立場。そもキリスト者は往相(黙示録に来たりつつあるもの、とあるけど、科学的にはアンドロメダ、とはいわずとも永遠のふるさとだよ)、還相、(再臨と言って、また現世に来たりつつあること)、しかなかった、それが、やがて団体に置換し、宗教化したのだろう。なぜ、ひとびとが、肉体を拒絶してまで、エ・エルホメネセス(来たりつつあるもの)にラップしたのか、宇宙の波動だよ、宇宙からやってくる、なにかを、キャッチして永遠に繋がろうとした。

宇宙は冥々、未知である、そのことが、ほんとうに、みんな、わかってない、なんとかなるだろう、希望が、人間礼賛と、一緒にほんとうに、滅びるまでわからないのだろうか、

魂というのは宇宙のエネルギー、および、エネルギーの回転、すなわち愛の循環と、その中心にある、人間の謂われの中の、謂われ、それを、例で語るなら、たとえば、ミケランジェロの勝利、という彫刻はプラトニックな愛を誓った、貴族、(それが革命、孤独、恋愛)、がミケランジェロを踏みつけている。つまり、いのちとは、宇宙の意思としてのいのち(人間の謂われの中の、謂われ)、と、生命体としてのいのちを併せ持つ、現代文明のヒューマニズムは、人間の謂れを陋劣として、「生命体としてのいのち」を神の成り代わりとして肯定する、したがって動物ですらない、間違っていて、私からしたら悪魔ですよ、
私はリゴリズム、(マゾヒズムの、慎みは、奥歯が似たこと、日記にしてる)、つまり、宇宙の混沌へ帰入する、恐れから厳格になった、キリスト教徒にとって現世は試練の場だけど、そこから、現世観と他界観を東洋と連続しつつ、西洋的なメメント・モリもまた、十二単に融合する、あたしという文化。

ニュートン力学的には宇宙は決定論で可視的な原因と結果がある、その権威から、現代文明がある。愛が、偉大な敗北をした、文明こそ、機械化文明である。愛や、宇宙の意思や、神など不可視の世界が、軽視ないし、蔑視し、現代科学的なものを信頼し、客観的、科学的なる、もののみを信じる、文明。

ニュートン力学は間違っている、だなんて相当探求しない、とわからない、(文明にあって、今の文明を跳躍することだから)。ニュートン力学が間違い、だなんて、ほんとうに、理解したら、相当、不幸にはなる。涙なしに生きられないよ。

宇宙のビッグバンから、宇宙の終焉まで理論化してゆく直線に対して、直感は聞くに聞けず、視るに視えず、冥々とした星々の、心、(宇宙波動)を時空を超出し、儚い、真っ赤ないのちの中に、直線では、いつかは、果てがあるのに対して、直感は、永遠の果てなき荒野を、ビジョンすることで、たとえば、月から闇の中に地球が昇り、そこから、泪の苦悩の中に、全宇宙の暗黒をつんざき、宇宙、という、混沌の中から、地球が、宿命的に在ることを、想うと、私やあなたも、みんな、つまり万物がみな、宇宙の関与者である。すべてが存在の光である。それが、霊性文明だとおもうこと。地球も、宇宙も、祖霊も、子孫も、宇宙の意思(なぜなら、すべては、同時的に共存し、関与し合う、時間がない、因果律の時空の、さらに上部構造にシフトすると、暗黒流体の世界で、そこには、すべての宿命の全体像があるの、)ですべて数珠のように繋がっていて、観測される、ニュートン力学的宇宙とは違って、宇宙とは、私たちの心の中にある、
つまり、量子力学でいう、粒子の振る舞いは、精神波動もまた含むように、意識の問題が、関与するように、
それは、暗黒流体の、世界だけど、(だから、生きてるものも、子孫も、祖霊も、みんな、永遠に関与者である、素粒子の、宇宙、それは、現世からしたら、なにもない)そういう次第で、私たちはその壮大な宇宙の、それぞれが固有の運命として、前、後、今、というように系列的な時間係数に従って、現れてくる、だからこそ、尊いのだと自覚する、

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