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宇宙の意思 岸根 卓郎先生 霊動の記録

(科学の時代に神話と思うかもしれない…)、しかし神話は文明の命、中枢ですよ…有史以前の文明の哲学、宗教、文学、科学、いわば涙の凝縮が神話に残ってる。この文明史も、神話になると思う。そして、僕の大望は、神話に残るような、光の探求がしたい。次の時代の、神話ですよ…。

量子コンピューターに運命なら、すべて移行する、あの中の、崇高なもの、が古墳になる、俺は言いたいんだよ、あまりにくだらないものが、打ち込まれている、だから、俺が俺なりに信じてきた、ほんとうに崇高な、何か、…語りきれない、何か、を語りたい、ラスコーリニコフ的に言うなら、持ち堪える、それが、俺の、ただ独りの革命ですよ、

葉隠れの、葉隠れにのみ生きたもっとも崇高な男の涙が、俺の、潜在意識に打ち込まれてるのも、東洋人としての誇りを感ずる、

宇宙は生命体で、西洋は天国について宇宙を超越したが東洋と極致は同じ無である、しかし量子力学、(科学の角度も、霊界の角度も)が、論証、(理論)、実証、(実験)しつつあるのは、無と言われてきた宇宙の再現である、先生は宇宙エネルギーと一元化した東洋文明と西洋文明が転換する可能性を示唆する、

太陽エネルギーと違って観測できない宇宙エネルギー。 「原子の動態とはどんなものか、それはおおよそ時間係数に打ち込んだ粒子であるということ。電子は時間係数を跳躍した、観測閾の向こう側の暗黒風(かぜ)の宇宙の波動でもあり、」それすら、一部。量子状態とは、宇宙生命への、憧れの原淵である。フレイザーの金枝篇には、その憧れの原淵が、記録されている、(ハリー・ポッターの魔法に近い、) ああいう、宇宙生命体の意思が魔法となって、西洋文明は曙が昇ったと俺は言いたいんだよ、  量子力学は、あと数十年で、全物理学を覆って、フレイザーの金枝篇まで、遡行するのではないか、

荘子の、(岸根先生から知った)、視乎冥冥 聴乎無声、すなわち、視えないものを視、声なき声を聴こうと、時空(時間係数)を超えて逍遙する。

宇宙の絶対性原理の、エントロピー増大の法則、(万物は時間の経過とともに混沌化するという、いわゆる破壊のエネルギー法則)に支配されている、師曰く、このような法則が、サターンだと言っておられる。

生は、一時的な現象である、仏教やキリスト教は幻とまで、断定している。般若心経は安寧の書物ではないだろう、時間係数は、いっさいは空だが、それでも行け、と言ってるのだ。私からしたら、宇宙の原淵である、視乎冥冥 聴乎無声の、境地。

宇宙エネルギーは、陰陽であり、二極に分かれて存在する、

生と死は一元的に一つだが、二極に分かれて、存在する、(陰陽)、

岸根先生の提唱する、エントロピー減少の宇宙法則、

時間係数によって、理解する、知能をiqとするならば、時間係数を跳躍によって、無、(宇宙の原淵である、荘子の視乎冥冥 聴乎無声)、を体得する、私は後者を直感的な知性、と言ってる。

私の絶望は、有効性に帰着した。精神世界の探求、つまり哲学、宗教は、それを超えて物質世界へ行かんとすると失効する、その逆も言える、ところが近年になって量子論が著しく発達し、両者が接近し同じ結論、(ないし統合)が、課題だ。

老子の、天下の者は有より、生ずる、有は無より、生ずる、ところで、無を、体得する、(私の、note参照、すべて無へ接近せんとする、試み )、宇宙風(かぜ)と、加島祥造のタオと、ことばに内伏するエネルギーが、衝突し、比喩だが、もっとも美しい星がわたしを通過したのだ。

時間を平均化することは、エネルギー法則から、 その人固有の時間である、 時間の密度を、奪われた状態であり、 モモと時間泥棒はその警句的な、文明論だろう、 たとえば、祈りとは、様々ですが、それは、時間の密度を、高め、その人固有の生を拓く星の法でした。

聖人や、近しい人の部屋、みんな貧しくとも、お絵や、十字架がある、キリストの絵があればキリストがいるし、マリア様の絵があれば、夜見守ってくれる、天使像があれば、来てくれる。それは、物象論から、魂の純粋さまで、応用できる、宇宙の、掟のような、話でしょうね。

曰く、死とは、魂が肉体から離脱することであり、死によって肉体は朽ちるが、魂は存続するから永遠の生をうる。

曰く、死の完成とは、魂が永遠に生きることへの確信、それゆえ魂の不死への確信であり、そのためには、魂を物質的、肉体的、感覚的なものからできるだけ遠ざけ、魂を純粋に保つことこそが、良い生であり、それによって魂の不死が約束される。

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