祖母

「頑張ってね。」

ありきたりな一言だけど、この一言は一生耳から、頭から離れない。

私の祖母は今年の1月に遠くに旅立ってしまった。
ガンという憎きものに脅かされて。

一度完全に取り除かれたと思われた腫瘍。転移していたのが発覚したのは、5か月後の冬。それから祖母の体は見る見るうちに弱っていった。

入院中、私は祖母と電話をした。大学であったこと。最近したこと。おやきの作り方。退院したらしたいこと。色んな話をした。

年を越して、正月休み。私はようやく病院にいる祖母にガラス越しではあったが、会うことが出来た。祖母は自分の足でしっかり歩いてきた。いつもの祖母だった。少しやせていたけれど。

「頑張ってね。」
この時に言ってくれたのが、この言葉。

その時は思いもしなかった。
まさか、これが、この瞬間が、祖母と過ごす最後の時間であることを。

入院をして治療を受けていた祖母に、3日間の帰省期間が設けられた。
母によると、帰った日は、ご飯を普通に食べたそうだ。
その日に撮った写真には、夫(祖父)と穏やかな笑みで映る祖母の姿があった。

大学の授業のために京都に戻った私は、会うことが叶わなかった。
だから、帰った次の日の昼に、電話をすることになっていた。

母から一通の通知。
「ばあば、疲れっちゃったって。電話明日にしようか。」
この電話の約束はもう果たされない。

夫や子供、孫に会えて嬉しかったのか、安心したのか。
皆に優しかった祖母は、迷惑をかけまいと思ったのだろうか。
皆が自分のもとを離れた後、眠るように静かに旅立った。
容体が急変することもなく。
最期の最期まで、祖母は祖母らしかった。

悔しい。これが祖母の旅立ちを告げられた時に一番に思ったこと。
なんで、少しでも声を聞きたいとせがまなかったか。
なんで、もっと連絡を取らなかったか。
なんで、、、。と思えば思うほど、自分が憎くなった。

すぐに地元に帰って、祖母と会った。
いつもの穏やかな顔で眠っていた。直接触れたのは、1年ぶりくらい。
こんな形になってしまったけど、とても嬉しかった。

小さい頃から、祖母の家に行くのが大好きで。
泊まった時には夜更かしをさせてくれて、
美味しいご飯を沢山食べさせてくれた。
祖母の料理は、どこか安心した。
中でも玉ねぎとひき肉のおやきは格別。
私が帰省するたびに、たんまり作って待っていてくれた。
祖母はとにかく穏やか。ずっと笑っていた。あの笑顔も忘れられない。

祖母に会いたくて会いたくてたまらない。
もうすぐ新盆。遠くに旅立ってしまった祖母が、もうすぐ帰ってくる。
楽しみ。


もうひとつ、忘れられない瞬間がある。

それは、母の強さが垣間見えた瞬間。

10年ほど前に自身の兄をガンで亡くしている母。
同じガンという病気で家族2人も亡くした母。
彼女が一番つらいはずなのに、笑顔だった母。

「疲れた?朝早くお疲れさま。来てくれてありがとうね。」

なんでこんなことが、しかも笑顔で言えるのか。どんなに強いのだろうか。

私は祖母みたいな、母みたいな、
そんな強くて優しい母親になるのが目標だ。






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