芸専アドカレ2日目

本日は祖父のじの誕生日!
祖父の好物であるホットケーキを焼こうかなと思っています、かわのじです。

この記事は芸専アドベントカレンダー2日目の記事です。

前回の記事はこちら↓



もう12月も1週間を過ぎました。かわのじは冬のイベントや食べものがすごくすきなので、12月に入ってからなんとなくわくわくで毎日をすごしています。

さて、当企画は「芸専の思想」を題しています。
もしかしたら思想とは違うかもしれませんが、いい機会だと思って、この記事では少し前に読んでからずっとひっかかっている、とあるエッセイを中心に、かわのじのでっかい自我(自我のじ)を綴っていこうと思います。
多分、読んでいて変な気分になるかと思います。これはすごくオブラートにつつんだ表現です。
なので、もしも、世の中にはこんなにへんてこないきものもいるんだなあ、と面白がっていただくことができたら、とてもうれしいです。
またはじめてこういった形で文章を書きます。拙く読みづらい文章かもしれませんが、ぜひ最後までお付き合いいただけたらと思います。


それでは本題に移ります。

かわのじが読んだのは、筑波大学芸術専門学群が主催する「高校生アートライター大賞」というエッセイコンテスト、その第3回大賞に選ばれた、「きれない」というエッセイ。

該当エッセイはリンク先の「第3回優秀作品集2009」(緑色の表紙)の14、15ページに掲載されています

このエッセイを読むに至った経緯は、とある講義でとりあげられていたからなのですが、講義絡みのことを詳しく書いてしまうのはいかがなものかと思いますので、このくらいにとどめておきます(保険のじ)。
エッセイ自体はオープンソースですので、特段問題はないと考え、リンクを引用させて頂きました。そう長くなく、かつとても読みやすいすてきな文章ですので、ぜひみなさんも全文読んでいただけたらと思います。

こちらの「きれない」というエッセイにおいて、かわのじのなかでずっとひっかかっているのは

「もし、僕がこの世に一人しか存在しないとなったら、果たして絵を描き続けるでしょうか。」

高校生アートライター大賞
第3回大賞作品「きれない」より引用

という一文からはじまる後半部分になります。

はじめて読んだとき、かわのじは、隠しておいた赤点のテストを目の前にひっぱりだされたようなきもちになりました。

きっとこれを読んでいるみなさんのうちに、このきもちに共感できる人はほとんどいないかなとおもいます。それは、創作活動をしているひとでも。

これはかわのじ自身のとってもめんどくさいかんがえからうまれたきもちです。

ひとことで言うと、かわのじは、「絵を描く理由に、じぶん以外の誰かが与してほしくない」のです。
己のことながらいい気分にはならない文章ですが、本当にこれにつきるのです。

ちょっとかわのじは、今までに絵を描きすぎてしまいました。人と関わらないで、勉強をしないで、外にでないで、絵を描いていました。
そうして気づいたら、絵を描くことがアイデンティティになっていました。

アイデンティティはじぶんなので、そこにだれかが介在していたら、それってじぶんじゃないような気がします。

そう思ってしまったので、じぶんのおもちゃを離さない子供の駄々こねのような、大の大人が矜恃のために頭を下げないような、そういう曖昧だけど頑固な情緒が生まれてしまいました。そして、絵を描くことをすべてじぶんのためにしたいなと考えるようになりました。

「ひとりよがりの自己満足」?
いいじゃないですか、だってじぶんのためですから。これはじぶんによる、じぶんのための、じぶんの絵なのです。じぶんの快、不快の起点で、終点です。そこに第三者はいりません。
かわのじは半ば強迫観念的に、そう考えています(半ばのじ)。

なのでかわのじには、「きれない」は絶対に書けません。
最初に読んだとき、「このひとはなんて勇気のあるひとなんだろう。」とおもいました。じぶんが絵を描くことに、他者の存在が不可欠であることを、みとめて、文字にしている。それがかわのじには本当に衝撃的でした。

ちなみに、世間一般に広く語られている絵を描く理由のひとつに「承認欲求」があげられると思います。
かわのじ的に、これは「ひとりよがりの自己満足」のうちのひとつに回帰するものだと考えるので、そんなに傷ついたことがありません。
(かわのじも、描いた絵がだれかに見てもらえたらうれしいな、程度の承認欲求は持ち合わせています。それが絵を描くメインの理由になることはありませんが……。)

この記事に、じぶん以外のだれかを必要とする理由のために絵を描いているひとや、それ以外のなにかを批判したり、中傷したりする意図はありません。
でも、そういうひとを見たら、かわのじの赤点がまた机の上に放り出されてしまうのでしょう。

「もし、僕がこの世に一人しか存在しないとなったら、果たして絵を描き続けるでしょうか。
……自分は描くのをやめてしまうだろうと思います。」

高校生アートライター大賞
第3回大賞作品「きれない」より引用

エッセイの著者の方はそう断じていますが、かわのじはきっと、この世にひとりになっても絵を描くかなとおもいます。

意地とかではありません。反発でもありません。

それがじぶんだからです。


この文章を書くのに長針が3周とみかんがふたつ必要でした。

あんまりきれいな内容ではないので、多分そのうちこっそり消えたりするかもしれません。

これで「思想」を語れているのかもわかりませんが、とにかくひとつ、ずっと考えていたことが明文化できてよかったなとおもいます。

ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
最近すっかり寒いですから、あったかくしてからだに気をつけてお過ごしください。

かわのじ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?