ライティングの大切さ

ライティングとは”書く”ものではなく、”書きたくなる”ものだ。

from あべのキューズモール at Starbucks.

一発目から、キャッチコピーのようなそうでもないようなワードをぶつけましたが、こうやってノートを書くのは久しぶりです。

最近、書けませんでした。
というのも、書く時間がないは言い訳になるので言わないですが、
というよりも書きたくなかった。まとまらない事が多かった。

有り難い事に日々忙しくさせてもらっていて、
今は売上がなくても、売上がない今が凄く大切で豊かだと感じる事が多々あります。それは売上がなくても幸福度は高いから。

それぞれの幸福度は自分なりに探すのが凄くお勧めです。


それはおいといて、

なぜ今こう書き始めたのかというと、
うちの代表がまぁ素晴らしいブログを発信していて、
自然と色々着想が湧いたからです。

色々な情景や背景、こんな時にこう思ったんだろうな、とか、
勝手に想像しながら感情移入するのが、できる文章が好きです。

凄いと思うのがやはり代表の文章は書きたい気持ちになるということ。

文章でもエンタメを感じさせてくれますね。


最近凄く思います。

自分にとってエンタメとは何か。

色んな人の定義や、何のためにを聞いて整理してもまぁ、
自分がどこにも居ないので見つからなかったわけですが、
なんか自分で見つけれた気がします。

自分にとってエンタメとは?を考えるのに凄く必要なのは、
自分がエンターテインメントの一顧客であること。

消費社会ですから、自分が顧客になる事の方が多いです。
それでも作り手の視点と、素直に受け取る消費者の視点では、
見るべき点が凄く違うし、受け取るモノも全然違います。

だからあえて最近は消費者であることを選んでいました。
その中で気づいたのは、

感情の内側から彷彿するナニカが自分を興奮させる

これが、エンターテインメントの恐ろしさ。
人はこれがなければ死にます。

昔の人、狩りでも、それは本能であり、
狩人にしか訪れないナニカが、継続させる力なのでは。
勿論食欲もあるでしょうけど。


スポーツやライブ、スタバだってそうで、
いつもナニカに自分は楽しませてもらっている。


エンターテインメントはそんな力があるのに、
物質に頼りすぎている自分が居たのと、その限界地に気付いている自分を見て見ぬふりしていた最近でした。


そんなライティングの大切さはどこいったのだと。


答えはシンプルで、

誰かにとって、書きたくなるようなナニカを込める事。

炎ちゃんが言ってた事、今に刺さるなぁ。


だから惰性でするより、
誰かに届けてメッセージを貰える努力をしてみる。
振り返った時に、コピーが上手くなってたり、
教育にレバレッジがかかったり、
現在地が分かったり、進んでる感があったり、

脱成長は、一番成長していることなのかもな。




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