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学校のトイレ

転校したばかりのクラスで、ぼくにあだ名が付けられた。つけたのは、背が小さくて、2年生にして口の周りにうっすらとヒゲのような産毛が生えた、どことなく不潔な感じのする、クラスでもあまり好かれてはいない男子だった。ぼくの名前は漢字で書けばそう読めるのだが、彼はそれを、投げ捨てるように、吐き捨てるように言うので、それがすごく嫌だった。やめてくれ、と何度も言ったが、彼はもちろんやめなかった。(そのうち、他の子たちも、親しみを込めてそのあだ名でぼくを呼ぶようになり、ぼくもいつの間にかそう呼ばれることに慣れてしまったのだが…)

学校のトイレで大きい方の用を足すのは、とても恥ずかしくて、ずいぶんはばかられた。余程のことがない限りは、我慢をして家でするのが常だったが、ある時、どうしも我慢ができなくなってしまった。昼休みのことだった。みんなでかくれんぼをしていると、激しい腹痛がぼくを襲った。我慢をしようとしたが、無理だと観念し、トイレに駆け込んだ。普段であれば誰も探すことまではしないだろうが、その時は運悪く、かくれんぼの最中だった。よりによって、ぼくにあだ名をつけた彼が、トイレの個室に入っているぼくを見つけた。上履きのゴムのところにしっかりと書かれている名前を、ドアの下にある隙間から覗かれたのだった。彼は、ぼくが隠れるフリをしてトイレで用を出していた、と、みんなに言いふらし、冷やかし、からかった。その時以来、ただでさえ行きづらかったものが、輪をかけて行きづらくなってしまった。

ある日のことだ。学校の帰りに腹痛に見舞われ、冷や汗をかきながら早足で家路を急いだ。限界ギリギリで家に辿り着き、ドアノブを回した。しかしながら、無情にもドアには鍵がかかっていた。呼び鈴を押すも反応はない。普段は家にいる母が、出掛けているようだった。家に着くまでの我慢、と保っていた気持ちの塊が、一気に溶けてしまうのが分かった。それ以上耐えることはできず、社宅の階段の踊り場で、ぼくは用を足すことを選択せざるを得なかった。しばらく外で時間を潰して恐る恐る家に帰ると、母はもう帰っていた。ぼくが帰るなり母は、誰か階段の踊り場で用を足した人がいて、問題になっている、不審者が入ってきているのであれば、社宅の出入りを強化しなくてはならないとみんなで話しているのだが、変な人を見なかったか、とぼくに訊いた。ぼくは心臓が飛び出そうな心持ちで、知らない、と言った。母親とは、やはり子どものことはよく分かるのだろう。そう答えるぼくの様子を見て全てを悟ったらしく、自分が留守にしていたのが悪かった、と謝った。ぼくは我慢ができず、泣き出した。

中学生二年生の頃、今度は地下の倉庫で同じようなことが起きた。母は家でぼくと顔を合わせると「正直に言っていいんだよ」と優しく言ってくれたが、中学生では流石に誰も冷やかすような生徒はおらず、その犯人はぼくではなかった。

誰だって排泄はするものなのに、何故小学生の時はからかいの対象になってしまうのだろう。ぼくにあだ名をつけた彼は、何故からかうようなことをしたのだろう。排泄をすることよりも、彼のそういう行為こそが、薄汚く不潔なはずなのに。

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