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広場の時間

転校してきた初日、昼休みが終わると体育館に促された。訊くと、これは「広場の時間」なのだと言う。全校生徒が幾つかのグループに分かれて集合しており、ぼくもその中のひとつに加わるように言われた。全く訳がわからぬまま参加すると、そのグループは「水玉グループ」と呼ばれており、一年生から六年生で構成されているのだと、リーダーらしき生徒が教えてくれた。その日は、グループ対抗のゲームをやり、終わるとみんなが満足気な顔をして、教室に引き上げていった。

広場の時間は毎週水曜日の昼休みと5時間目の間にあった。ぼくは5時間目の代わりに広場の時間があるのだと思っており、水曜日の5時間目の算数がなくなるのだと思っていたが、そうではないことが分かり、とてもガッカリした。広場の時間には、ゲームであったり、ダンスであったり、先生のかくし芸であったり、様々なことが行われた。その内容は大半は先生たちで考えられたものであったが、各水玉グループが持ち回りで企画したものもあった。水玉グループには先生が1人ずつついて、その先生とリーダーが話し合って企画を考えていた。

五年生の時、企画の持ち回りがぼくのグループに回ってきた。先生とリーダーは、ロシアの「タタロチカ」という、ロシア民謡のようなものに合わせて踊るフォークダンスを全員で踊る、という企画を捻り出した。何人かのグループで輪を作って踊るので、水玉グループには持ってこいの企画だと、先生とリーダーはご満悦だった。みんなで踊るには、まずはぼくらのグループ全員がお手本とならなくては、ということで、ぼくらは放課後の時間を使って練習をした。そんなに難しいものではなかったが、軽快な音楽に合わせて跳ねるように踊ることはもちろん、クライマックスにやってくる「両膝の上の辺りを6回たたいた後、両手を胸の前で交差するやいなやその手を高々と掲げて「ヤクシー!」と掛け声を発する」という振り付けが、何とも言えず恥ずかしいのだった。

本番の日、ぼくらは舞台に上がり、お手本を見せた。一学年上には姉、二学年下には弟がおり、その前で「ヤクシー!」と踊って見せた。半ば観念し、半ばやけっぱちだったが、何かが弾け飛んだ瞬間でもあった。

「ヤクシー」とはロシア語で「良い」とか「素晴らしい」などの賞賛を表す感嘆語だそうだ。イヤなことがあった時は、膝を叩いて万歳をし「ヤクシー!」と叫んでみたら、何かが弾け飛ぶかもしれない。

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