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TOP SURGERY

ご挨拶

みなさんこんにちは
暖かくなってきたと思ったら冷え込んだり急上昇急降下なお天気の中
いかがお過ごしでしょうか
私はつい先週家族にノンバイナリーであることをカミングアウトしました。
それについてはまた別の機会にお話したいなと思っています。
なんせ絶賛!家族会議進行中なもんで。

私は、他者から女性と判断される材料となる身体の部位に違和感があるので、それを自分自身だと誇れる姿に戻るために手術をする予定なんですね。
でもまぁ家族にはその感覚が理解できなかったらしく、かなり激しく止められました。どう説明すべきか悩んでいるときに自分の日記を遡ったら今と変わらない手術に対しての想いがかかれていて、自分のこの気持ちを否定される必要はないよなと思えたので、せっかくだからみなさんとも共有させてください。去年10月に書いた日記、原文ママです。(読みやすいように目次を付け足しています)

2023年10月

自分の本心と向き合った途端、容易には実現できないという現実が受け入れられずに心が崩れ落ちそうだと、無意識の中に自分の本心から目を背けてきたけれど、そろそろ無視し続けることにも限界が近づいていると最近強く感じる。
ノンバイナリーという言葉を知り、自分という人間をやっと言葉で表すことができた時から、それ以前より一層、女性という性別に分けられる自分の身体の違和感がはっきりと認識できるものになってしまった。
生殖器に煩わしさは感じても除去するリスクを考え譲歩せざるを得ないという気持ちに(現段階では)落とし込めるのだが胸に関してはどうしてもそうなれない。

残酷な男女判定

人間は本当に他人の容姿を批判するの大好きだなと思う。
その人が女か男か顔面で判断がつけられない場合、人は大体上半身に目をやる。残酷すぎる仕分け方法だと本当に嫌悪感が湧き起こる。
なぜ胸があることが嫌で一刻も早くフラットな上半身にしたいかと考えると、性別を見た目で判断できる要素を無くしたいから。
自分の身体をそのまま愛そうとしても、この男女二元論の社会が変わらない限りは私は絶対に無理。
もちろん自分の為に自分が決定したことだけども、世界が変わるより先になぜ私が1人、生きていく限り変化をしていかなくてはならないのだろう。
胸の手術をしてフラットな上半身にすると言うとこれから身体を変えるという意味に捉えられがちだろうけれど、私的にはもともと持つべきだった自分本来の姿に戻すという感覚が近い。

自分史を振り返る

いつから自分の胸の存在を無いことにしてきたのかなと考えてみる。
俗に言うナベシャツを初めて購入したのは大学四年生。
ベリベリで胸周りを巻きつける強さを変えられるまさにフラットな上半身にするために胸を潰すようなものから、おへそあたりまでのノースリーブに近い下着で肩から胸下あたりまでを一枚の硬い布のようなもので覆うもの、スポーツブラに近い下着で胸を小さく見えるもの、といろいろ使ってきてみた。
最初はとにかく胸の膨らみをなくして、フラットな上半身を手に入れたくて胸潰しに近いものを使っていたのだけど、肋骨が絞められて呼吸は苦しいし、跡がついてしまうしで代償が大きい。手術をする際に潰されている胸だと術後の形に影響があると言うこともネット情報から知って、最近は不本意ではあるけど胸を小さく見せるものを使うようにしている。確かにおっぱい!という形が出ないからいいのだけど、それでも膨らみのある胸には変わりなく、それを隠すために肩は巻き肩になったし、なにより胸を張って歩けない。
意識的にそういった矯正下着をつけるようになったのはここ2、3年の話だけれど、それ以前は無意識を決め込んでいたと思う。おっぱいは大きければいい、形がいい方がいいと社会から同調圧力をかけられようと、あくまで自分は除外されると思っていた。
小学生の頃か、胸の膨らみが始まり、親からそろそろブラジャーを買わないとねと言われた時には言い表せない気持ち悪さを感じたし、siblingに胸の膨らみを指摘された時も羞恥心と嫌悪感で泣いた。
ノンバイナリーだからフラットな上半身を求めるわけではない、私に取っての自分のノンバイナリー像がフラットな上半身であっただけ。でもそう考えると私って本当に昔からノンバイナリーだったんだと。いやそうなんだけど、そうなんだなぁと感心してもしまう。

手術に対する想い

今まで人生で一度も手術をしたことがないし、まさかこんな形で自ら手術を選ぶようなことになるなんて想像してなかった。
じゃあやります!ってすぐできれば楽なんだけど、まずはどうしてそうしたいのか、自分の体に違和感がありますよ〜という証明も必要なんだよね、忌々しいが。
どこのクリニックに行くのか、手術にかかる費用はいくらで抑えられるのか、どれくらいダウンタイムがあって安静にしていればいいのか、保険は適用になるのか、その間仕事はどうすればいいのか、休むとなると理由はなんで言えばいいのか、正直に伝えて好奇の目に晒されることに耐えられるのか、周りとの関係性は変わらないのか、家族にはなんと伝えればいいのか、親を落ち込ませてしまったらどうしようか、フラットな上半身になったからといって社会は変わらないし、生きていくのにお金は必要だし、どうやって生活をしていけばいいのだろうか。
痛いことは怖いけど、それ以上に自分の望む姿に戻ることができることは嬉しい。それと同時に今後の人生を考えると先が見えなくて本当に怖くて涙がでてくる。

やらないという選択肢はもうない。
もともと3年間気持ちが変わらなかったら、それは自分の本心に間違いがないものだということで見極めようと決めていたし、今後も変わることはないだろう。
できるのであれば今すぐ、一刻も早く手術をしたい。でも現実的に考えて難しいのは子供じゃないからわかるけれども、あまりにも今のままで生きて行く毎日が辛すぎるよ。

今の気持ち

思い通りになんかいかないことが当たり前の世の中だけど、思い通りにいかない現実と未来しかなくて、誰も助けてはくれないのはわかっていても泣き喚きたい。
どんどん卑屈な考えになっていっているのが自分でもわかる。一刻も早くしないともっともっと卑屈になって行くんだろうな、と他人事のように考えている自分もいる。
毎日吸える空気が薄くなっている気分。
自分で自分の首を絞めているし、社会からも締め出されて息が苦しい。
手術したい、って言ったらえ?とか、本気?って言われるんだろうなって考える。
そう言われたら心を破壊されるので、予防線を張っておこうかな。
私があなたに直接面と向かってこのことを話す時に、なんて言えばわからなかったら「そうなんだ」って返事するだけでいい。
気になることがあったり、支えてくれるお気持ちがあるのであれば、「そうなんだ、なにか出来ることがあったら教えてね」「嫌な質問だったらごめん、でもそれってどういうことなの?」とか言ってくれると嬉しい。
自分も言われる側だったら初めてのことで反応に、困るのは当然だと思う。でもそこでありのままのリアクションをされるとかなり堪えるから、ただその言葉を言葉のまま受け止めてもらえればいいなと思う。
実現する未来を信じ希望を抱いて生きるほど私は夢見人じゃないし、絶望に慣れいつか運が回ってくるのを待ちぼうけるだけでは自分が許せない。
結局最後には、自分しか自分の生き様は決められないのだったら、もがき続けるしかないなと覚悟をそろそろ決めたい。

最後に

お読みいただきありがとうございました。
同じノンバイナリーでも手術をしたい人としない人がいる、こうであれば本当のノンバイナリーなんてモノも無い、ということを最後に書き留めて起きます。


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