我他彼此
「この戸ったら、動きが悪いよ。ガタピシ言ってる。」
「この機械は随分つかったから、ついにガタがきたようだ。」
昔、サッシがなかった頃は玄関も窓も、雨戸も木製。朝晩に雨戸の開け閉めをしたことがある人なら記憶があると思うが、滑りが悪くなると戸がガタガタいう。
「ガタピシ」は、堅いものが擦れて発する音に喩えられ、さらにガタピシが略されて、動きが鈍ったりしたときに、「ガタつく」や「ガタがきた」とかいう使い方をする。この「ガタピシ」とはもともと仏教の教えのひとつ「我他彼此」からきたものだ。では、どういうことかというと、「我他彼此」我と他、彼と此とが対立していて、お互いが譲らず物事が順調に先に進めない状態のことである。
確かに、今日の私たちをとりまく世界では、左か右か、白か黒か、イエスかノーかなどのように二者択一を迫られることが多くある。自ずと、イライラすることも増加の一方、誰彼となく衝突してしまうこともある。しかし、そもそも全てをこのようにどちらかに決めつけることに無理がるのだ。この決めつけが多くの問題が生じているように思う。
お釈迦さまが説かれた中道という考え方は、左か右か、白か黒か、イエスかノーかなどと 両極端にとらわれないこと、決め付けないことである。思い込むなかれ。思い込むなかれ、である。
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