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自分のシナリオに関する注意事項、なぜ描写を厚くしないのか

注意

 この記事は自シナリオに対する注意事項を毎回書くのが面倒なので、その手間の軽減のために存在するものであり、それ以上のものはありません。
 自分の思想が強めであることは自覚しており、万人受けするものではないことを了承した上で、それをきちんと明示していく必要があると改めて感じたため、執筆されているものです。
 一般論ではなく、神木のシナリオに限定した話であり、サークルメンバーとも無関係です。
 更に言えば、この内容は全く初心者向けではなく、初心者どころか多くのTRPG愛好家にとって毒になる可能性があります。所詮ただの遊びなので楽しめたら良いと思いますが、僕はこういうふうに捉えるほうが楽しかったという話になります。
 辛いなと思いましたら、僕のシナリオを遊ばなければいいし、それでもシナリオは遊びたいというのであれば好き勝手に改変してもらって構いません。誤解を恐れず言えば以下にはそのような趣旨のことを長々と書いています。

神木のシナリオ傾向について

  • 描写が少ない

  • 断片的な情報が多く、その繋ぎの記述が薄い

  • 真相について読者(GM)にすら伝えていない(委ねている)部分がある

  • これら上記の事項のほとんどをわざとやっている

    • 所謂「日本モジュール」と真逆の考え方です

その理由

GMは演出家、作者は脚本家

 まず、僕の中でシナリオとは脚本であり、つまり、シナリオ書きとは脚本家です。
 ではTRPGにおけるGMとは何でしょうか。
 僕の中ではGMは演出家です。
 細かな描写、PLの空気感に合わせた進行、公平な裁定、これらの特殊な処理を行うのがGMの責務だと思っています。何故なら一般的な処理であれば機械にやらせれば良いからです。そこには明確なTRPGとコンピュータ上でのRPGとの境界があると考えます。
 であれば、脚本家が準備するべきは最低限の起こり得るイベントとです。
 つまり、究極的に言えばシナリオに描写なんて書く必要はありません。それは演出家の仕事であり、それを脚本家がその場の空気に合わせた演出を作るにはある種の制限が必要です。(後述の「シナリオ執筆指針」を参照)
 しかし、現実問題としてアドリブの描写を次々に出すことは難しく、上述した最低限のシナリオでプレイすることはPLへのストレスになりかねません。そのため、最近は意識して「描写例」という単語を使うようになりました。 本当はもっと減らしてもいいと思っているということです。これは僕の文章力の無さにより、具体的な例示での説明しか出来ないという観点もあり、精進せねばと思っている部分です。
 この関係は作曲家と音楽家にも似ています。

PLは何者か

 ではPLは何者かというと、やはりこれも演出家です。そして、観客でもあります。よりGMより特殊な立ち位置の演出家と言えるでしょう。彼らをただの観客にするかどうかはGMの腕にかかっています。
 音楽家に例えるなら、GMは指揮者、PLは演奏家ということになるでしょう。指揮に従って演奏はしても、その音楽の構成要素として良いものにできるかどうかの演出はあなた次第です。

シナリオ執筆指針


 例えばあなたがGMをやっていたとして。最初に依頼が持ち込まれ、それをキャラクターに受諾してもらうというよくある場面でPLがこれを固辞したとします。僕がキーパリングする場合ではこういった場合の対処は常に考えており、基本的に許可しています。(この処理の善悪の問題は一旦捨て置いて下さい。僕がそうしているだけの話です)
 例えば無為に一日が過ぎたことで更なる事件が起きたり、今後の探索にデメリットが付く処理です。勿論そういった処理が出来ないシナリオも存在していますし、空気を読んで受諾して下さいと素直に言うのも悪くはないでしょう。それはPLを観客と捉えた場合の処理になると思います。
 では、この処理に脚本家が出来ることはあるでしょうか?
 当然あります。

  1. その特殊ケースを想定しシナリオに全てを記述しておく

  2. 想定解以外を禁止する

  3. GMに委ねる

 さて、1. がほとんどの場合で不可能であることは分かるでしょうか? 事前の展開自体を制限しておくことでパターンを減らすなど巧妙に作り込めば可能かもしれませんが、それでも網羅できているかは心配です。更に個人的な感想を言えば僕は他者にシナリオをプレイしてもらう際には是非想定解以外を出して欲しいと願っています。
 2. は簡単かつ排他的な選択肢です。最も何も考えなくても良い選択肢であり、故に確実に脚本を読ませることが出来ます。個人的な好みからは外れますが、よく知られている多くのシナリオはこの形式であり、十分に楽しく遊べることが証明されています。
 3. はかなり投げやりです。ですが、故に自由度は高く、遊びの幅も広がるかもしれません。それが嬉しいかどうかは個人差としか言えないので置いておきます。僕は好きです。
 僕のシナリオは基本的に1.を採用しつつ、想定解以外は3.を考えています。そのため、アドリブで出しやすいような断片的なクリアに必ずしも必要のない情報が配置されていることがあります。
(余談ですが、最近のトレンドは1.か2.、もしくはそのハイブリッド型でしょうか?
 これが僕のシナリオの執筆における基本指針です。

補遺:僕がGMをやるときの指針

 とは言え、お前のシナリオは絞り過ぎてて辛いじゃないのよ、というのも分かるので僕が自分でGMをプレイする時の指針を書いておきます。
 気が向いたら追記するかもしれません。

シナリオは作者のもの、セッションは僕らのもの

 上述した話はつまり「臨機応変にシナリオの改変をしてね」ということです。
 しかし、それに抵抗がある人もいるでしょう。当然ですが作者には敬意を払うべきだからです。(僕には別に敬意なんてなくて良いですよ。悪しからず)
 しかし、シナリオが作者のものである以上にセッションはGMとPLのものだと考えます。
 バカにするような趣旨ならともかく、素直に遊んでいるのであれば場の空気を見て面白くする方が健全です。僕はこの考え方をシナリオ書きの全員が持っていると良いんじゃないかと思っていますが、考え方というのは強制できるものではないので、ここではあくまで僕のシナリオに対してはとお考え下さい。
 勿論面白くするというのはそれなりに技巧が要るものですが、遊びに関してはシンプルだと思います。面白く遊べる相手と面白く遊べるツールで面白く遊べばいいのです。つまり、面白くなかったらやめちゃえばいいんです。
 あ、でも、だからといって「面白くない!」と一人で喚くのは迷惑ですからね。他の人に排斥されても知りませんよ。コミニュケーションは難しいですね。
 さて、このように記載すれば好き放題やっていいということが伝わったでしょうか?
 以下はもっと細かい話です。

PLの提案を全肯定する

 僕のシナリオでは基本的に最初のシナリオフックで導入に失敗した場合もシナリオが継続できるようになっています。これは上述の通りです。
 それ以外にも基本的に僕はPLの提案を真っ向から拒否したことはありません。なので、そのようにシナリオを記述しているつもりですが、実際にはマスタリングの影響も大きいでしょう。
 拒否する場合のテクニックとしては「シナリオ的に不可能」と伝えてしまうよりも、現実に即した形で不可能と伝えるのが良いでしょう。
 例えば現代日本での銃などの武器の所持に関しては警察の存在をチラつかせておけば大抵の場合所持を諦めます。もしもそれでも所持をする場合はリスクとリターンが見合うように適宜判定を行います。ただし、僕の場合はこの時PLの「提案した」という行為自体にかなり色を付けます。
 あとは点数付けしておくと処理がスムーズに済みます。一つの判定を1とおき、銃の所持が+1、そのキャラクターの職業が一般人なので+1、提案したということで―1、合計1なので一回の判定のような形です。これもかなり感覚でやっていますが、慣れてくると考えやすいです。
 これらの例示を全てここに書けるならシナリオに書いているので、この程度でやめておきます。また、これはあくまで僕のやり方ということをお忘れなきよう。

やらせドッキリはバレなければ良い

 テレビ番組で「やらせ」が話題になるときがあります。やらせが何故悪いのか考えたことがあるでしょうか。
 やらせはバレるからダメなんです。
 バレなければそれはやらせとは呼ばれません。あるいはその場全ての人がやらせと思っていれば、やらせとは誰も言わないでしょう?
 具体的な話をします。
 あなたはGMです。最終局面、あと一歩で敵に及ばず負けたという場面ですが、しかし、ダイスの出目があまりにも悪かったため、若干の消化不良感もあります。そこであなたはどうしますか?
 僕ならこっそりもう一回チャンスを足します。ただし、そのチャンスはかなり成功率の低いものにするべきです。あるいはPLの勘違いを利用して重要そうに見えるアイテム(見える、が大事です。本当に重要かどうかではなくPLの気持ちをコントロールする必要があるからです)を落とさせたり、NPCを犠牲にするなどして猶予ができたことにします。
 少なくとも僕のシナリオではこういった処理がしやすいように、あるいはそもそも前提の条件が起きないようになっているはずなのでよく考えてみてください。
 そして、大抵の場合においてチャンスを一回足すと成功でも失敗でもPLは満足のいく結末になることが多くあります。
 ここで最初にやらせの話をしたのは正しく同じだからです。
 このような処理はPLに温情をかけられたと気付かれないように、あるいは互いに温情であると分かっているという仲の時でのみやるべきです。結局そうしなければPLの気持ちは冷めてしまうでしょう。逆に分かり合ってる仲であれば、これに失敗したら終わりなのだという予告にもなりえますから公平なマスタリングとしては悪くないでしょう。
 このような場の支配、コントロールは気分の良くない人もいるかもしれませんが、それは先入観です。人とのコミニュケーションは大なり小なり場の支配です。言葉が強いために同意しかねるなら共有と譲渡と言っても良いです。

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