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「悟空になったらいいんじゃないかな」


握りしめた100円玉と、ポケットにねじ込んた千円札を「落とさないようにしなさい」そう母から念を押されて見送られると、何度もポケットに手を突っ込んで、ちゃんとそこにあることを確かめる。
年に一度の夜の自由を手に入れた小学生の兄とわたしは、提灯と小さな裸電球がけぶるように誘い込む夏祭りの神社にかけ出した。

子どもの頃のお祭りの記憶である。

わたしは1回200円の金魚すくいが好きで、2回も3回もやった。
べつに何匹も金魚が欲しかったわけじゃなくて、ただ自分のお気に入りの金魚を見つけ出し、それを自分がすくい出す。この過程が楽しくて仕方なかった。

誰かと競うわけでもない ‟独り負けず嫌い” が発動してしまうのだ。

なるべく小さいコを見つける。
そうすればだいたい1ぴきはポイ(金魚すくいの道具)が破けずにすくえるから。
もし1匹もすくえなかったとしても、必ず1匹はもらえるのに、『どうしても自分ですくった金魚を連れて帰りたい』そういう想いから、慎重にポイを水につける。

わたしがねらいを定める金魚は、だいたい白と朱と黒の3色の金魚か、
白にほんのり朱が混ざっている金魚。
どこかみんなと違う金魚。
心細そうに泳いでいて、時々ほかの金魚とぶつかりそうになると、急にすばしっこく シュッ! と身をかわすような金魚。
そんな金魚に惹かれた。

すくった金魚をビニール袋に入れてもらい、細い手持ちのビニールの紐を掴んだその時から、その金魚は ”わたしのたいせつな金魚” になる。
ビニール袋から水がこぼれてしまわないように、金魚が弱ってしまわないようにかばいながら背中を丸めて神社を抜け出して、家に連れて帰ると、庭の小さな池に放す。
ひとたび池に放してしまえば、どんなに慎重にすくったコも、お祭りの水槽ではみんなと違って特別に見えたコも、池の底に潜りこんで、藻の影に隠れたりするから、そう簡単には見つけられなくなる。
それに餌なんかあげなくても、自然に増えた緑苔を食べて逞しく生きてくだけなのだ。

もう、‟わたしの金魚” ではなくなる。

『なんだか、子育てに似てる』そう思う。


母親になってからのお祭りの記憶は夏祭りではなく、子どもの小学校で開催されたお祭り。

息子の小学校では、PTA主催のお祭りが毎年開催される。
息子が入学したその年、わたしはそのお祭りの役員になった。
役員はその準備から後片づけまでと、1日忙しいから、まだ1年生だった息子はおばあちゃんと一緒にまわることになった。
しかし、その翌年もわたしは役員決めのくじ引きで見事に当たりくじ(ハズレくじともいう)を引いてしまい、あろうことか、その年は更に忙しいお祭りの委員長という大役を仰せつかって、2年連続、息子はおばあちゃんとお祭りへ。

息子3年生の時に、やっと晴れて役員免除!
ついに息子と過ごす、初めての学校のお祭り。
だけど、3年生ともなると、こども達は友達同士でまわる約束をしはじめる。そのほうが楽しいに決まっている。
たくさんの父兄の目もあり、学校内というある程度安全が保障された場所なのだから、友達と思う存分楽しめばいい。
そう思っていたのに、息子は「一度も母さんとまわってないから、今年は母さんと行く」というのだ。
しかも、「K君とも、いっしょに行ってもいい?」と。
真意がよくわからないまま、お祭りの前日になった。

学校から帰った息子が暗い顔をしている。
理由を聞いてみる。

息子 
「朝、学校に行ったらK君が明日のお祭りN君に誘われたって・・・だから、みんなで一緒に行こうって」

わたし
「そう、じゃみんなで行くの?」

息子 
「行かない」

わたし
「どうして?行けばいいのに」

息子 
「オレは今年は母さんとまわりたいんだよ」

わたし
「でも、お友達とも行きたいからK君誘ったんでしょ?」

息子 
「・・・・・・」

わたし
「お友達と行った方が楽しいかもよ」

むすこ
「違う、オレは母さんと行きたいけど・・・・・・今年、K君のお母さんはお祭りの役員なんだよ・・・だからK君が寂しいと思ったから・・・K君は母さんのこと知ってるし・・・だから一緒に行けばK君寂しくないと思って・・・」

ナニコレ?!?!?! 

ヒドイナ?!?!?!

ワタシ ヒドスギルナ!!!!!

ワタシハ コドモニ コンナニモ サミシイ オモイヲ サセテイタ

ヒドイ・・・ゴメン・・・ゴメンネ・・・

涙腺が崩壊することを必死に拒みながら・・・

わたし
「そうか!じゃ、今年は母さんと行こう!でもね、K君は悪くないよね、あなたと先に約束したけど、N君に断れなかったんだね、だからあなたにも、ちゃんと『みんなで一緒に行こう』って言ったんだもんね」

息子 
「うん、それはもういいの。でもね、そこにN君が来て、『オマエ、K君と一緒に行くつもりだったんだろ、そうはさせないよ、アイツはオレと行くんだから、もう誘っても無駄だよ』って」


ナンダロウ イタイネ ココロガ エグラレルネ ココロガ

ダメダケド・・・ダメナンダケド・・・

ワタシハ イカリガ バクハツ スンゼンデス


そんなわたしの冷静ではない怒りの心の声を封印しつつ

わたし
「そっか、きっとねN君寂しかったんだろうね、N君のおうち、赤ちゃん生まれたでしょ、おかあさん忙しいのかもしれないよね、だからN君は寂しいのかもしれないよ・・・寂しいと、誰かに優しくできないこともあるからね」

息子 
「うん」

当時のわたしは、本音とたてまえの『たてまえ』をフル活用していた。
子どもにわたしのブラックな本音を伝えてはならない、と自分に禁じていた。子どもにはわたしと違って、誰からも愛される人間になってほしかったからだ。


わたし
「あのさ、あなたが大好きなドラゴンボールの悟空いるでしょ」

息子 
「うん」

わたし
「あなたは悟空にあこがれてるんだよね?」

息子 
「うん」

わたし
「あなたは悟空になればいいんじゃないかなぁ」

息子 
「ん?!」

わたし
「たとえば誰かに意地悪された時、嫌なこと言われた時、悟空だったらどうするかな?どんな態度するかな?なんて言うかな?って、想像して悟空になっちゃえばいいんじゃないかな、そしたらあなたは大好きな自分になれるんじゃないかな」

その時、息子がどんな反応をしたかは覚えていないけれど・・・・・・

翌日、約束通り息子はわたしとお祭りに行った。
校舎の廊下ではK君やN君に何度も出くわす。
息子はその度に、大きな声で「ヨォッ!」と片手をあげて笑顔をみせる。
友達は目をそらす。
何度会っても目をそらされる。

カナシイネ モウガンバラナクテ イイヨ

でも会えばまた「ヨォッ!」と手をあげて笑う。

「カッコイイゾ! オマエ カッコイイナ! オラ、カンドウスッゾ!」
(悟空もそう言ってるはず!・・・ドラゴンボール観たことないけど)


家に帰るとすぐに「えらかったね、かっこよかったよ。本当にかっこよかった。悟空みたいだった」そう息子に伝えると、わたしはコッソリ泣いた。


彼は今、いろんなことを明るく笑い飛ばせる大人になった。
大切な人を笑顔にすることも忘れない。
だから、あの日に感謝しよう。

わたしは、たまに池の縁に立ってその姿を眺めながら
「おーい、ちゃんと自分の大好きな自分でいるかー」
と、声をかけてみようと思っている。







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