高森藍子さんを知ろうの回 (藍子倫理学)

 一部で藍子倫理学なる学問分野が成立しているので、私もしてみんとてしてみます。題材はデレステの高森藍子コミュ4です。

 このコミュで高森藍子(以下藍子)はアイドルとして握手会に挑戦します。遠距離はるばる来てくださったファンの方の存在を知り、はりきって一人一人とお話をする時間を長く取りました。その結果予定時間をオーバーし、会場関係者に、プロデューサーと藍子は怒られます。藍子は、自分がもっとすごいアイドルだったら、怒られることはなかったと考え、そのすごいアイドルになるという、険しいと予想される道にたいしては、散歩をするとき、どんなにゆっくりでも、決めたコースを歩き切れなかったことはないと、Pに対して自分がアイドルの道を歩む決意を語ります。

 この物語では、2つのトレードオフになる関係、言い換えればこちらを立てればあちらが立たず、あちらを立てればこちらが立たず、になる関係があります。すなわち、ファンの方と長い時間お話をすればファンの方に喜んでもらえる一方予定時間をオーバーして自分は怒られてしまうが、予定時間をオーバーしないよう短いお話にすればファンの方に十分満足してもらえないかもしれないが、自分は怒られないという関係です。自分を取るかファンの方を取るかどちらか一方を選択しなければなりません。

 本編で藍子は、自分が怒られることを取り、ファンの方に喜んでもらえる方を取りました。このことで一見、藍子は自己犠牲精神の人なのだと見えるかもしれません。しかし藍子は、この結果に満足をしませんでした。自分がすごいアイドルになることにより、自分かファンの方の二択を迫られてしまう状況自体を改変しようとするのです。

 藍子倫理学は、自分かファンの方達か、言い換えれば自分が犠牲になるか多くの人が犠牲になるかという状況-----単純な功利主義でいえば、最大多数の最大幸福を目指し、自分を犠牲にする選択となってもおかしくないのですが--------そこでこのような選択をせざるをえなくなってしまう状況を認識し、それを自分の手で変えることで全員が幸せになろうとする、この世界への働きかけの中にあるのだと思います。

 以上の考察はどれくらい妥当なのか、高森藍子さんに関して全然素人の私にはなんとも分からないところもあるのですが、高森藍子さんの中にある強さのようなものはひしひしと感じとることができました。それではまた。

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