アイドルマスターシンデレラガールズ界隈で話題になりがちな、プロデューサーとは何か話

 こんにちは。前回前々回なんか陰気な内容だったのですが今回はアイドルマスターシンデレラガールズの話題です。強すぎる思想性もなく安心してお読み頂けます(?)。タイトルにあげましたが、たまにプロデューサーとは何かがツイッターで話題になったりしてるので、自分でもひとつ書いてみようかなあと思って考えていたことをまとめました。なおプロディンヌを名乗られる方も相当数いらっしゃるとは思いますが、自分が男性であることなどもありプロデューサー表記で統一させていただきます。ご了承ください。また、各人それぞれの楽しみ方や自己認識を否定する意図のものではなく、あくまで個人の考えです。

 さて。プロデューサーと言えば、とりあえず、ゲームのコミュの中に登場するあの人物を思い浮かべます。アイドルに仕事を持ってきたり作曲家さん作詞家さんやディレクターさん演出家さんなどと連絡を取ったり企画を作ったりしているようです。彼/彼女に自分を同一視してゲームを楽しむことがプロデューサーである条件なのでしょうか?僕にはこれはしっくりきません。なぜかというと、この人物は一人の人生の行き先を相当部分決定する責任を背負っており、この重荷が僕には凄まじい重さに感じられて背負いきれないからです。もう少し軽い気持ちでシンデレラガールズを楽しんでいます。それに、この人物の考えや振る舞いと自分のそれが一致しないこともあり、なかなか完全な同一視は難しいです。これは余談ですが、アイドルとの距離の取り方が上のようであるため、アイドルにそっけなく扱われたり見下されたりするのが癖です。信用されないぐらいでちょうどいいみたいな感じです。何言ってるんだ。

 閑話休題。次に見るのはツイッターでよく見る「そのアイドルが好きならもうそのアイドルの担当プロデューサーだ」というものです。これはこれで色々含蓄のある見識だと思うのですが、もう少し内実を見たいというもどかしさがあります。「プロデューサー」というと役職名なので、なんらかの役割を期待されているんじゃないか、とか。また、アイドルを好きになるというのは状況依存的というか、偶然的というか、ロマンチックに言えば運命的な何かをはらんでいて、自分自身で積極的にこの子を選んだ、という感じはあまりないです。プロデューサーという名前には自分で行動を起こしていく積極性を感じるので、好きになるという受動的なことだけが含まれる定義では馴染みにくい印象です。

 ここからもう少し深めるために、僕自身の体験などを交えながら進めていきます。

 僕はデレステから入ったユーザーで、ライブの現地初参戦は7th名古屋でした。それまでもライブビューイングには何回か参加していたのですが、場所やお金の都合などで現地には行っていませんでした。ですが、このときはどうしてもあるユニットの曲披露(一般的に話したいので固有名詞を伏せます)が生で見たかったので、腰を上げて現地へ行きました。そこでは予想通りユニットの曲披露も行われ、感動してドーム全体がこの二人のためにあるんじゃないかとさえ思えました(もちろん現実は複雑なのですが)。そこだけでなく公演での曲披露全体も楽しめ大満足だったのですが、曲以外に感情のボルテージが高まったところがあり、それが的場梨沙さんのボイス発表でした。会場からも、曲披露直後と負けないくらい、あるいはそれより大きいかもしれない歓声が聞こえてくるのが感じられました。僕はこの時、先のユニットのデレステイベント開催の時も思ったのですが、シンデレラガールズって信じて願っていればいつか叶えられるコンテンツなんだ、それが人気の秘密なんだと思いました。

 いきなりひっくり返しますが、この見方はかなりナイーブです。1ユーザーの狭い視点から出ていて、叶えられない願いの方を少しも見ていないものです。叶えられない願いとは、ある種の欠落です。本来なければならないものが備わっていないという感覚です。

 ある人がシンデレラガールズに触れて、あるアイドルのことが好きになってしまった。出会ってしまった。この子はどんな活躍を見せているんだろう。こんなに素晴らしいのに、活躍していないはずがないーーーー。

 ゲーム内での出番、ボイスの有無、ソロ曲、シンデレラマスター、ユニット曲、総選挙曲、シンデレラガールの称号、声優さんによるライブでの披露、…………等等、段階の違いはあれたくさんの欠落が、望みがあります。まさに、夢は夢で終われないわけです。

 ところが、アイドルの生殺与奪の権を握っているのは運営です。そんな運営とユーザーをつなぐほぼ唯一の回路になっているのが、シンデレラガール総選挙です。ここで結果を出せば、活躍の芽が出るかもしれない。確実性は100%ではないですが、すがれるものがここしかない。この結果を出すためには、自分の周囲に、何とかしてアイドルの魅力を伝えて、投票をしてもらわなければいけない。ここで、最初は個人の集まりだったはずのユーザーに社会性が求められることとなり、僕はこれが肝だと思います。

 自分が好きになったアイドルのために、その魅力を周りに広めようとする者、これこそがプロデューサーなんじゃないかと、僕は思います。プロデューサーというのは集団の中で持つアイデンティティで、アイドルを好きになる、という個人的経験からははみ出ているのではないかと思っています。

 シンデレラガールズというコンテンツのもつ活力の正体は、おそらくこの欠落の多さにあります。たくさんのアイドルがいて、そのアイドルたちの活躍の物語や、アイドル同士の関係性や、代理的にはなりますがプロデューサーとの信頼を深める物語などたくさんのものが求められています。人数の多さが、求められるものをすごく増やしています。

 アイドルの魅力を広めるという目的を共有した個人が集まると、ノウハウの蓄積や活動規模の拡大などのために集団ができ、これが担当P界隈です。集団ができるとリーダーも求められますし、その中でマウントをとろうとする人間が出てきます。これがあえて話題に出さなかった、課金額や限定は全部引かないとダメとかイベントは走って当然とかのいつもの下らないやつです。これらの行為は、自分がその担当P集団の一員であると示す指標になってしまうため、ある人の中で、集団の一員でありたいという思いと個人としてのプロデューサー方針の間で葛藤が生まれるため、定期的にプロデューサーとは何かが話題に出るのでしょう。

 ライブ後のお知らせがライブと同じかそれ以上に盛り上がる理由は、ライブでの曲披露自体は、それを望んでいた人達の熱量が中心ですが、お知らせの時には、望みが叶えられたと知った人にとってのその喜びの声に加えて、それ以外の人にとっての、このコンテンツについていけばいつか自分の願いも叶えられるだろうという期待が高まるからでしょう。

 長々書きました。前に社会性から逃れるために僕はオタクをやっているのにここでも社会性求められるんだなあみたいな記事を書いたら、あるPの方の、人間がおるんやから当たり前だろみたいな感想を見かけたんですが、ここまで書いてなるほどという感じがしています。細々とやっている僕にできることは、他の人に供給があったときに水を差さないようつとめることくらいです。クリスマスが近いですが、シンデレラガールズにはたくさんの祈りの火が灯されています。サンタさんへ。僕は今白菊ほたるの限定SSRが欲しいです。僕より。

 

 本当の本当に余談。ガシャで上手く引けたとき使われる担当力って言葉をたまに見ますが、あれは僕の中の地雷です。ガシャの時には、確率の神と千川ちひろだけを信じましょう。それでは。












導入 アイマス話 シンデレラに限る

作中Pへの共感、自分との同一視?→自分はそう思えない 一人の人間の人生を背負う重荷

ツイッターでよく見る定義(-好きなら)への違和感 役職→役割がある? 

シンデレラガールズとは何か 

7th経験 曲披露の満足と的場りさボイス発表の盛り上がり ライブ感想よりお知らせが盛り上がりがち←ライブは披露された時点で満足されている お知らせはあらたな満足

本質は欠落が達成されることにあるのでは?

欠落の段階

出番無し ボイスなし ソロなし (自分が欲しいユニットの)イベント曲なし 総選挙曲なし CGをとってない ライブ披露を見ていない

夢を夢で終わらせたくないユーザー

運営に委ねられた大半 運営とユーザーをつなぐほぼ唯一の回路、総選挙 ←結果を残す必要

⇒個人だったユーザーの組織化、ロビー活動の必要=プロデューサー活動では? 帯びられた社会性 頭がP←全員の代理としての記号

終わりに 他Pの楽しみに水を差す人間にはなりたくない 余談 担当力という言葉よりちひろを信じろ

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