白菊ほたるに手を伸ばすこと~[黎明に願って]白菊ほたるを受けて ※全編ネタバレ

 荒削りですが、ファーストインプレッションを保存するために、書いておきます。

 今回のフェス限で、白菊ほたるは、厄をその身に集め、奥座敷に閉じ込められている少女の役として、その衣装を纏い登場しました。そんなほたるのポスターがこちら。

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この文章で、「彼女を幸せにするのは貴方」とはどういうことかを考えます。

 デレステのアイドルコミュで白菊ほたるは、アイドルが出来なくなって公園で泣いているところからはじまります。コミュ4で、プロデューサーの役割は、不幸はほたるが原因で起こるのではなく偶然起こるのであり、何か起こってもそれに全て対処する、というようなことが書かれていました。言ってみれば、力業です。そうしてほたるがアイドルになる道を開けておくこと。アイドルになること(=幸せになること)への努力はあくまでほたる自身が引き受けるもので、ほたる自身も趣味がアイドルレッスンと、ストイックです。今回のルーム台詞にもそれはあらわれています。

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Pもほたるも強くなって、対処できる範囲を広げる方向性。

それが、彼女を幸せにするのはあなた、となっていて、プロデューサーの役割が拡大されているように見えます。それはどうしてか。

 社会情勢と解釈をからめるのがどれくらい妥当かは分からないのですか、今回はその筋で見ていきます。

 世界が新型コロナウイルスに悩まされていることは、誰でも知っていることです。このウイルスが蔓延することは誰も予想できなかったし、今もコントロールする事ができていません。世界は、誰が原因と言い切ることのできない不幸に包まれています。コントロールを越えていること。人間の移動や、ウイルスの変異。コミュ4でプロデューサーが見せていたように、手当たり次第対処して個人の強さでどうにかすることが、規模のレベルでも質のレベルでも難しいです。そんなとき、その不幸を一身に背負ってくれる存在がいたら……。この願いが白菊ほたるを呼び出します。ほたるの願いには、間違いなく、人を幸せにしたいというものがあります。また、バーターでも何でも、仕事なら何でもやるというアイドルへの執着にも似た強い思いがあります。

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人々の願いを前に、犠牲になってしまいかねない白菊ほたる。

そんなほたるに、自分を犠牲にすることはダメなのだと語り続けること。それがPに求められた役割なんじゃないかと思っています。

もちろん、ほたる自身も、自分が不幸を全て引き受けるという未来を、肯定していません。

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むしろ、拒否することで、アイドルとしての役割を全うしていると言えます。

 現実の人身御供は、少数者に犠牲を強いることで起こります。ウイルスがらみでいうなら、全員に不幸がかかっていることはもちろんなのですが、医療従事者にすさまじい負担がかかっていることも事実で、正月もありませんし、その上、まるで忌むべきものででもあるかのように避けられもします。そんな現実を役として演じた上で、アイドル白菊ほたるはそのあり方を否定する。犠牲にされかかっている少数者も幸福になりたいと思っていることを提示し、その人達を幸福にする助けを象徴的にながらも行っています。

 一方、少数者に課せられた負担をはずすということは、当然多数の側でも負担を引き受けることになり、多数の側の不幸の総量はふえることとなります。そうなると、その不満の矛先にもなりかねません。

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それでも、ほたるが幸福を願うことは正しいことなんだということ。ほたるの隣にいつづけること。ほたるの選択を否定する人を否定すること。これが新たに求められるPの役割で、これを引き受ける覚悟について、「ほたるを幸せにするのは貴方」と、Pの行為に焦点を当てる形で書かれたのだと、今僕はそう考えています。

 まとめるなら、最初は自分の不幸体質を理由にアイドルを諦めかけていたほたるに、あきらめなくていいんだと見せてみせ、今は、外からやってきている不幸に対し、想像も入りますが、贖罪ででもあるかのように自分を犠牲に人を幸せにしようとすること(あるいは、スケープゴートとして不満をぶつける対象を自分にしようとすること)をしっかりと否定し、ほたるの思いを肯定し、ともにアイドルという夢を見続けることが必要なのかな、と思いました。

 ほたるにとっての光はアイドルの象徴。そんな光を強く出す太陽を一年のはじめにほたるとともに見ることがほたるP初めとなる人が、たくさんいてくれたらいいな、と思います。

 不幸が全てコントロール可能なものなら、Pも力業で対処していくことができるし、またほたるも自分の強さで向き合って行けます。でも現実の不幸はコントロール不能で、規模も大きく、また一人だけに降りかかる訳でもありません。そのタイプの不幸にはまた別の対応が、不幸の中でどう生き抜くかが問われることになるんじゃないかという考えがこの文章を作らせました。

長々と読んでくれてありがとうございました。もちろんこれは個人のファーストインプレッションで、細部は荒く、デレステばかり準拠し、筆者はにわかとそしられても文句は言えません。筆者は、白菊ほたるの色々な解釈がみられたらいいな、と思っています。それでは。来年よい年となりますように。

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