刺激反応オブジェクト

人は学習能力がある。これは欠点にもなる。

避けたい状況があると、それを避けることができるように本能を利用したプログラミングを脳が勝手におこなう。その状況はどんなオブジェクトがあるときに発生しているかを脳が記憶して、そのオブジェクトの刺激を知覚すると、自動的に行動を促す。

本能が操れるのは、自律神経を介した身体反応をともなうような、例えば、むずむずした感じになるとか、胃が痛くなるとか、尿意、便意をもたらすとか、胸が痛くなるとか、そのようなことだろう。間違った行動をしないために、それらの身体反応をうまく組み合わせて出力することで、避けたい嫌な状況になるのを懸命に妨害する。

そして、それらの反応はオブジェクトに紐づけられていて、嫌な状況のトリガーとして学習したオブジェクトを知覚するだけで、その知覚状態を脱しようと身体反応が必死に出るようになる。

困るのは、矛盾した出力が要求される場合だ。どっちを選択しても身体反応から逃れられず、学習性無気力のような状態になってしまう。

しかもいやなことに、オブジェクトを知覚するたびに身体反応してしまうので、本当はそのオブジェクト自体は悪くないとわかっているのに、そのオブジェクトを本能的に拒絶するプログラミングが行われてしまう。

例えば、友人は基本的には優しいが、たまに嫌なことを自分に対してされてしまうと、友人のことを嫌いになりそうになる。でも、友人のことを嫌いだと思いたくないので、「友人は基本的には優しい人である」と必死に言い聞かせることで本能による拒絶を回避しようとする。

嫌なことをされるたびに「友人は基本的には優しい人である」という呪文が脳内を駆け巡る。

このように、一度、何かを刺激反応オブジェクトとして学習してしまうと、まるで呪いのようにつきまとわれてしまうネガティブな側面がある。

また、刺激反応オブジェクトは文化に根ざしている側面もあるだろう。

例えば、本質的に他人を差別しているような人は、自分の行為に対して、決して差別という言葉を使いたがらない。差別という言葉は多くの人にとって刺激反応オブジェクトとして、ネガティブな印象をもたらすトリガーであることをよく知っているからだ。論理的に正当化できる域ではないということだ。

文化的にタブーとされていることはいろいろあると思うが、だいたいは、タブーに関連するオブジェクトを刺激反応オブジェクトとして学習しているのだろうと思う。

一方、ポジティブな刺激反応オブジェクトも存在する。そのオブジェクトを知覚するとここちよい気分になるような学習をしたオブジェクトだ。だいたいは食欲、性欲に関連しているだろう。

一般的に刺激反応オブジェクトに対する出力のプログラミングが上手な人は優秀とされる可能性が高いと思っている。

簡単にいうと本能のコントロール力が高いと優秀であるということだ。

なぜ刺激反応オブジェクトという難しい言葉を使ったかというと、本能の範囲を明確にしたかったからだ。本能自体は変更できないが、本能をどう組み合わせるかというプログラムの部分は変更できる可能性がある。そのプログラムにおいて、中心的な役割をするのが刺激反応オブジェクトである。どんなオブジェクトがあって、どんな刺激に対してどんな本能的反応をするかをはっきりと認識することが本能をコントロールするための出発点であると思うからである。

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