論理と感情
あの人の言葉に救われたとかという経験は誰にでもあるだろう。言葉の力は強力である。良い意味でも悪い意味でも。
言葉は、論理を構成する。頭の良い人がもてはやされる現代において、論理をうまく行うことはかなり重要であると考えられている。
また、言葉は感情にも結びついている。言葉によってポジティブな気分になったりネガティブな気分になったりもする。
この、言葉の持つ論理性と感情性の2つの性質が物事を複雑化している。
論理的に考えれば考えるほど、感情が置き去りにされてしまう。
「あの人は頭が良くて正しいことを言ってそうだけど、なんか納得できない」と感じる時、感情がまさに置き去り状態になっている。
話のオチが論理の世界で完結してしまっていて、現実の感情に結びついていないのだ。
逆に、論理と感情がうまくかみあった言葉というのは、奇跡のようなものだ。名作とされる作品には、このような奇跡を見出すことができる。
人は論理的な目的を持って行動する時と、目的はないけどなんとなく気分だから行動する時がある。
論理的な目的を持って行動するときは、継続が難しい。気分的にやりたくなる感情的行動に流されやすい。
例えば、資格試験に合格するぞという目的があっても、継続できる人とそうでない人がいる。目的が感情に強く結びついていないと、勉強にちょっとだけ疲れた時でも、今は勉強をする気分じゃないという感情の1人勝ちになる。
勉強しないと、もうあとがない状況だと、ヤバイ状況を具体的にイメージできて、目的が感情に強く結びつく。そしたら、必死に頑張るだろう。
資格試験に合格しないと世間からバカにされるという、承認欲求的にまずい状況を防ぐには、気分はどうであれ勉強するしかないという感じか。
承認欲求を満たす、より簡単な方法があるならば、人は勉強をしないのかもしれない。
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