恋
恋は思考を溶かす。
恋は黒眼が揺れる。
だから目がまわる。
生涯この関係を意地でも壊したくないから「好き」を言わない好きもあれば、
たとえブチ壊れたとしても関わってみたいという気持ちを抑えられない「好き」もあって、
優劣なんてなくて、どっちが大事とかもなくて、どっちもなくなったら死んでしまう、
なのにその好きの重さ分はしっかり疲弊する。
溶けた思考回路で考えることばは取り留めもなくて、なんの役にも立たない。
考えては消え、書いては忘れ、心には数えきれないかすり傷、いつかのモチベーションにはすっかりホコリがかぶっている。
山が舞台の肉体労働者なので、常に肉体に生傷が絶えない。
どこかには筋肉痛、もしくは単に痛めているか、そうでないならアザがある。24時間365日どこかしらは痛い。
男の怪我は勲章だが、女の怪我は痛々しいだけのただの傷という言葉を聞いたことがある。
正しくは傷つく体に性別なんて関係ない。
何が勲章だ、無傷で帰って来れなかった自分を恥じろ。
傷なんかで正当化するのは愚か者の証拠だ。
この度、左の脛を怪我した。
自分で振り下ろした鎌が脚をヒットし、一瞬鋭く痛んだが、こんな痛みはよくあることなので仕事中は気にも留めなかった。
山を降りると作業着のズボンがきれいに破れており、インナーパンツまで血でびっとり濡れていた。
この出血量はまずい、人に気付かれるという一点において、非常にまずかった。
私は、一年目のときから顔にだけは怪我をしないと誓っている。
それは周りの人たちが気にするからだ。
私からは自分の顔は見えていないのでどうでもいいが、"女"の"顔"に"傷"があると、悲しそうにする人が一定数は必ずいる。
めんどくさいし癪だが、私なんぞの身体を気遣ってくれる人の存在はありがたく受け止めよう。めんどいけど。
顔以外ならなんでもありだと思っていたが、この出血量はどの部位だろうと周りの人からするとNGだった。
傷口は5センチほどパックリ割れて肉が見えていてグロかった。
班の人が私の傷に気付いて顔をしかめた。
痛そう、大丈夫? と口々に言われて「女の子やのに」という言葉を投げかけられたらどうしようと心臓がバクバクした。
が、誰一人それは言わなかった。
私は一度言われた言葉は二度と忘れないよう己の人生を懸けて恨むが、言われなかったことも決して忘れない。
言わないでくれたのは、私だからあえてと思うのはさすがに自惚れてるんだろうか。
特別扱いされたくないもんなぁ、と昔班長にしみじみ言われたことを思い出す。
女の子一人で、筋力にも体力にも差があって、特別扱いしないのはどれだけ難しいことだろうと、私は時々思う。
私がこの仕事をやっていくのは難しいことだった。苦労もあった。でもホモソーシャルでの苦悩や、肉体労働に女が参戦する難しさはわりと想像しやすいのか、労ってもらえるし、優しくしてもらえるし、同情だってしてもらえる。
でも実際のところ、「私と」やっていくほうだって、やっぱり大変だろうと思う。
誰も言わないけど、もしくは言えないのか。なにか思ってることはあるんだろうなと思う。
だから私も絶対言わんけど、些細な一言を黙っててくれてありがとうと心の底から思ってる。
あなたたちが「言わない」ことに、私は気付いてる。言わないことは「なかったこと」ではない。
救急セットなど持っていない私は、「このまま帰ります。ほっといたら乾きます。痛くないし」
と言った。
自分できいても強がってるみたいだが、ビジュアルと出血量のわりに本当に大したことのない痛みだった。
班長は「痛くなくても、手当はしとこな」と言って、車から救急セットを出して、消毒してなんか高そうな絆創膏を替えの分も含めて2枚渡してくれた。
うれしかった。
こんなことになって、脚の毛の処理が甘いことが本当に悔やまれた。
それでも怪我した部分は、いや、身体の怪我は、別に痛くなかった。
もう慣れてしまってるのかもしれない。
それに比べて心の傷ってなんて痛いんだろうと手当されながら思った。
心のほうは一体誰が手当てしてくれるんだろうとも思った。誰が心配してくれるんだろうとも思った。
血が噴き出てるのは脚なのに、帰りの運転中も明らかに痛んでるのが心のほうで動揺した。
傷付けた相手のことを思い出すだけで黒眼が振動した。
疲れる。
恋はなんて疲れるんだろう。
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