リズムの捉え方についての提言。


甲斐バンドの1977年リリース、『夕なぎ』のイントロのベースリフである。実際は最後の2音以外はオクターブ上かな? 初めて聞いた時に「オーディションかな?」と思ったぐらい、ベーシストとしての基礎能力が丸裸にされるフレーズだと思った。原典は最初から他の楽器も一緒に入ってくるが、私が演奏した回はドラムレスのアコースティック編成だったので、ベース単独で始まる。この4小節を聞けばもうそれだけで、ベーシストの力量を測れるっていう、なんというか、恐ろしい、やりがいのある、素敵なフレーズだ。

演奏で大事にしてるポイントって人によってほんとに様々で、・かっこいい・目立つ・泣ける・音色・タイム感・見た目など、具体的なものや抽象的なものまでいろいろで、私はこの中でも、タイム感、リズム、端的に言えば『音を出す(切る)タイミング』に特に拘ってると思われる。正直そこが蔑ろだなあって人がおおいので…『良い伴奏者としてのベーシスト』って意味で私が拘ってるポイントから、このフレーズを解説していく。

まず1小節目。ハバネラのリズムパターンだが、まずここが最大のポイント。ビゼー作曲カルメンの中にあるハバネラも同じリズムパターンだが、通常クラシックってのは常に拍が伸び縮みするので、8分音符単位でかっちり演奏されることは無い。具体的には2拍目裏は結構うしろに寄って、ほぼ16分音符ぐらいの感じになる。そして4拍子ではなく2拍子であるという事を強調して、譜例で言う3,4拍目の四分音符は割とサラッと流される(事が多い)。参考動画

まあそれはそれとしてこの「夕なぎ」はハバネラと同じリズムではあるけども8ビートなので8分音符単位できっちり弾きたい所。2拍目裏はちゃんと2拍目裏に、次の4分4分は、きっかり裏も感じて流れないように弾きたい。この4分4分が流れちゃう人が、結構多いと思う。

そして3小節目で出てくるシンコペーション。裏、裏となるところ。この2拍目裏から連続する8分音符の長さをどうするか。そして最後小節を跨いだタイのつながった音符の感じ方。伸ばしているので弾いていない、4小節目の一拍目を提示できるか。最後の音をどこまで伸ばしてどこできるか。

これをクリックなしであたかもクリックが鳴ってるかのように聞かせられたら勝利。クリックに合わせて弾けるのはまあ当たり前っていうか。何にも知らない人が聞いても、あきらかに譜割が見えるプレイを心がけています。

演奏中は常に頭の中に均等な8分音符が鳴っている状態が私流。
拍が伸び縮みしない=機械的=音楽的では無い=グルーヴ感がない
と思ってる層の方向けに、タイミング的には同じまま、わざと機械的に弾いたバージョンと、普通に全力で弾いたバージョンを並べておきます。譜割り通りと、機械的は必ずしもイコールじゃねぇってことが伝われば幸い。

人と一緒に演奏する場合、全員がかっちりきっかり弾かなきゃいけないのかっていうと、それは時と場合によると思うんです。「伴奏はきっちりやっとくんで、旋律は自由にいっちゃってください」っていうことも多いです。まあその時に旋律の方は伴奏を聞いてくれてるって前提ですけども。で、その場合のベース以外のいわゆるリズム隊と呼ばれる人たちについてですね。ギターのストロークだったりアルペジオだったり、ピアノ、キーボードとか…同じような感覚で一緒に演奏できる人がいる現場はとてもハッピーです。ドラム、パーカッションは当然ベースよりも強烈にタイミングについてシビアなもんだと思ってますがいかがでしょうか…?シビアであれ。

きっちり弾くことがいいことだという主張に反論があるのも当然だという思いもあり、いい言葉が無いものかと長年思ってたんだけど、つい最近良い言い方を見つけた気がしてて。きっちり『弾ける』事が重要なんだなって。きっちり出来ない人が揺らすのと、きっちり出来る人が揺らすのと、説得力が全然違うし、きっちり出来る人はきっちりしか出来ないわけじゃなく、揺れることも出来るわけで。きっちり出来ない人はそこの選択肢が無いわけ。

結局実際にどう弾くかってところに唯一の正解は無いけども、基本的に、根本的に、シンプルなリズムをちゃんと弾くことが出来るというスキルを持っているかどうか。これのクオリティに着目してない人が多すぎる。弦カルのチェロ、SAXカルテットのバリトン、ブラスのチューバ、あとなんだ、別にベースだけがこのスキルが必要な訳じゃ無いだろうに。本当は旋律の人もこの感覚を共有した上で揺れてくれると助かるけど、まあそこに拘りたい人って中々居ないよね。

『音楽!うたって!機械じゃ無いんだから!』

というのがグリッド感覚を消して来て、
最初に習ったはずの

『うん、たん、うん、たん』

のクオリティを捨てて来たのが原因。

で、ある日ふと思ったんですね、「均等な八分音符が頭の中に流れてる」っていうけどそれって本当に均等なの?何をもって私そんなに自信満々なの?って。そんな時思いついたのがこのトレーニング。4拍子のパターンを3小節、と4小節目が7/8拍子。このパターンを2分音符クリックと一緒にやってると、クリックが八分音符ずつずれていくのです。百聞は一見に如かず。こちらの動画がそれです。できるかな?やってみて!

この均等な最小単位を装備して、さぁ実際の演奏でどう運用していくかというのはまた次の機会に。

これだけ偉そうなことを書くと、後には引けないっていうか、自分にプレッシャーがかかるので、鈍った体には良いなぁと思うのです。

後進の育成っていうんですかね、そんなに興味ないし、なんでこんな事言い出したかというと、自分が死んだら、死なないまでも弾かなくなったら、15歳くらいからずーっと考えて来たこんな事って永久に消えてしまうんだなぁと思ったら、バズらないまでもどこかに残しておこうかなと思ったのです。一応大学院まで行ってて、この辺の論文を書こうと思えば機会はあったのですが、宗教的にアウェーが過ぎたのと、文章にするにはまだ当時は経験値が足りなかったかな。

この辺の話はこれまでの経験上、「伝わらない人には一生伝わらない」という意味でいつも、宗教という言葉を使ってます。大事にしてるものが違うっていうのかな。フリーランスなんで、「そんな木村でいいんだよ」って言ってくれる人とだけお仕事してるのは、幸せな事です。

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