・クラシックとそれ以外、専門外の人が演奏する場合 ・指揮者と私

超長文。私よりも専門的にクラシックをやってる人は星の数ほどいれど、私よりも専門的にポップス、ジャズ、をやってる人は星の数ほどいれど、私ほどどっちの気持ちもわかる人は少ないのでは?と思い前々から思ってた事をつらつら書いてみます。少々乱暴ですが、例外を示しながら断定を避けているとまどろっこしいので、敢えての断定で参ります。

「クラシックもそれ以外も出来ます」という人は稀です。大きな要因の一つは、拍の捉え方です。乱暴に短く言うなら、クラシックは横を重視、それ以外は縦を重視するからです。どちらかしか知らない人が、逆サイドのものを演奏しようとして、イマイチしっくり来ない、と言う事は多いのでは。ちなみにこの『しっくり来ない』が自覚できる事が、相互理解の第一段階です。

「それ以外」と言う中には、ポップス、ロック、ジャズ、などなどがあります。どれかの言葉で断定したり内包すると発狂する人がいるので断定しませんでしたが、めんどくさいので以下全部含めて『縦の音楽』と呼称します。ちなみにタンゴは割とクラシック側です。

ロックにせよジャズにせよ、「縦の音楽?揺れが無いと言いたいのかふざけるな」と発狂する方もおられると思いますが、『(クラシックと比べると相対的に)縦の音楽』の略だとご理解下さい。

音楽の事を語る(論じる)場合、「機械的である」という言葉は御法度です。禁句であり戦争の火種です。「音楽は芸術でありそんな、なんか、機械みたいな…とんでもない!」てなもんです。ここで私が主張したいのは、「見ている縮尺が全然違ぇンだわ」という事です。縦の音楽にも勿論拍の伸び縮みや、テンポの揺れなどはありますが、クラシック側からすれば、めちゃくちゃ微妙な差です。クラシック側の言う拍の伸び縮み、テンポの推移の幅というのは、縦側からすればとんでもなく大きいです。カーナビの縮尺をイメージして貰えば説明しやすいかと思うのですが、クラシックは広域表示で、縦の音楽は詳細表示です。

縦の音楽は(クラシック側から見れば)符割しっかりリズムくっきりパキパキ数えて演奏するのがカッコよくて、クラシックはフレーズの繋がり、重なり、みたいなのが素敵なんですよね。

昔頂いた金言で『自分の持ち物だけで音楽するな』というのがありました。これはクラシック経験があんまり無い時に、ポップス感覚でオケを弾いてた時に言われて、マジで響いちゃった言葉なんですが、例えばポップスの人がクラシックをやる時に、「ポップス的に」音符を感じて(数えて)クラシックの人と一緒にやると、ぜんぜんわかんない。なんとなく、指揮の見える点から適当にこれくらい遅く出れば、合う?のか?みたいな。それって結局、クラシックをやるのにポップスの語法や方法論で考えてるって事なんで、本質的に理解したとは言い難いんです。『郷に入っては郷に従え』です。少なくともその努力はしたいものです。

逆にクラシックの人がポップスやる場合、いつもよりシビアに音価を感じるのが、ポップスをポップス的に演奏するコツです。そして、音を出すタイミングのビートだけでなく、伸びている間や、休符の中に拍感を感じる事、これがポイントです。クレッシェンドとともにテンポが速くなったり、フレーズをおさめて遅くなったり、というのは基本的にはありません。

ポップス対応策の方がやけに具体的ですが、クラシック対応策の方は、もうなんかいっぱい聞いていっぱい弾いて慣れるしか無いです。ただ考え方として、符割に対してDAW上のグリッド的な概念があんまり無いんだ、という事を受け入れるというプロセスが必要かもです。

クラシックの世界でこの「グリッド」的な拍感の話を持ち出すと、「そんなものは機械みたいで音楽的では無い」と言われます。クラシックをやる上ではそうなんでしょうけどね。ポップスではその「音楽的なゆらめき」というのを、音のスピード感や、グリッド内ギリギリでの前後感でやってるので、別に譜面(符割)通りかどうかと、それが機械的かどうかってのは、全然違う話なんで。そんなこんなでクラシック界でボコボコにされた経験のある私的には「音楽的」という言葉に異常にアレルギーがあるのです。

この基本的なグリッドの考え方があった上で、縦の音楽の中でも難しいのが、「swing」というやつです。楽器によって、フレーズによって、符割と違った訛りが発生します。何か教科書があるわけではなく、いわゆる「ご当地あるある」的に、勉強してなくてはいけない部分です。ジャズに疎い人が安易にモノマネすると寒くなってしまう所でもあります。ですがこれも結局クラシックと同じように、いっぱい聴いて、いっぱい弾いて、耳で慣れていくっていうのが、理解への近道だと思います。

・指揮者と私


最近流行りの『マウントを取る』という言葉、これ私嫌いというかいまいちピンと来ないんですが、ひとつだけ、意識的に自信を持って他人にマウントを取れる件があります。それは『俺もっとヤバい指揮者でやったことあるし!』というやつです。大体演奏者は指揮者に文句を言いがちです。そんな人に上記のセリフを言ってやるのです。指揮者がいながらリズム隊として演奏する場合において、自分はめちゃめちゃ向いてると自負する一方「こんなに特殊な事をやってる」というのを知って貰いたく、こんな文章を書いております。ちなみにリズム隊が入る場合なので、リズム隊が入るような音楽をやる場合という事で。また自分が首席じゃないコントラバスの時はこの限りでは無いということを付け加えて
以下「私こんな風に指揮者を見てます」

まず曲頭。アウフタクトを振ってくれます。それを見て一拍目の出るタイミングは測りますが、その後のテンポはアウフタクトとは必ずしも一致しない。と思ってます。レコーディングの時のプリカウントではないのです。(勿論上手な方は一致します)

曲が始まってから、曲想、歌詞の内容、ご自身の盛り上がり、本番の緊張などで指揮のテンポは揺れ動きますが、こちらから見て「速くなったなぁ、遅くなったなぁ」と思っても、最初のテンポを死守します。
これは以前出会った指揮者との会話で「めっちゃテンポ早く見えるんですけど」という私に対して「遠くにいる管楽器が遅くなったから早く振っただけ」と言われた件に由来します。

但しこの死守には例外があって、歌がいる場合、自分で歌を聞きながら「歌が速く行きたがってる」と感じた場合のみ、そちらについていく事があります。が、基本的には指揮のテンポがどう見えようが、リハなどで決まったおおよその正解テンポ(あるいは私が勝手に気持ちいいと思った好きなテンポ)で演奏します。なんと傲慢なことか。

以前出会った別の指揮者で「事前に全ての場面のBPMを連絡したんだからそれ通りやって」と言った人がいました。「え?それ指揮で示してくれるんじゃないの?」と思いましたが、どうやら違ったみたいです。

さすがに極端な例ですが、このような発言に出会うにつけ、私の中での「指揮者の役割」が減っていったのです。

このように、目で見えているテンポと敢えて違うテンポで弾くってのは、こちらとしても負荷があるし、わざと指示に逆らってる自覚があるので、大変心苦しいのですが、それをやった後指揮者に「全然指揮とずれて演奏してたんだけどさっきのでよかった?」と聞くと、「え、そう?」ともれなく言われます。マジか。

ちなみにこの、自分以外の違うテンポ感に「そうじゃ無いと思う」と弾く場合に(対指揮者に限らず)気をつけたいポイントがあります。自分より速い人に「速いよ」と伝えたい場合、正解テンポより遅くは絶対弾かない事です。あくまでそれまでのテンポを維持する。逆に自分より遅い人に「遅いよ」と伝えたい時に、ジャストより速く弾かない事がポイントです。

テンポが速い、遅い、というのも奥が深い言葉で、個人的に注目しているのが、『小節線の越え方』です。四拍子なら4から1、三拍子なら3から1に行く時、小節の最後の拍の長さで、テンポの印象が変わります。これって結構人によってマチマチで、カスタマイズのし甲斐がある部分なんじゃないかと思っています。メトロノームには合ってるはずなのに「テンポ違うんだけど」と言われる人、原因はここでは?

何年か前、後々語り継がれるレベルでヤバい指揮者とやった時、とある共演者から「いや木村さんの演奏完全に同意するんですけど、あの指揮でどうやってその演奏なんですか?」と聞かれて以来、いつか文章に纏めたかったのです。


次回(あるのか?)、ベースの居所と時差について。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?